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引退ブログ#12畑中翔


お世話になっております。

88代マネージャーリーダーを務めました、畑中翔です。

ここでは京大ヨット部初(?)の経験者男子マネージャーの4年間を振り返りたいと思います。長くなりましたが、お付き合いください。



マネージャーとは何なのか。自分には何ができるのか。そんな不安を抱えながら京都大学ヨット部に入りました。

ただ、入部する時に決めていたことがあります。それは自分が高校3年間でプレイヤーとしてヨットを経験したことを最大限に活かしてチームが勝つことに貢献しようということです。

これは引退までずっと根底にあった思いです。


入部当初はコロナ禍真っ只中で練習に参加できませんでした。いざ、練習が始まるとレスキューからヨットに乗っている先輩をただ見る日々が続き、ヨットに乗りたい気持ちだけが高まっていきました。マネージャーの正解が分からず、もどかしく感じていました。

そんな自分の気持ちを大きく変えてくれたのは2回生の夏に行かせてもらったスナイプの蒲郡遠征でした。1ヶ月間ただただヨットのことだけを考える日々はとても楽しく、引退した今でも鮮明に覚えています。毎日プレイヤーと過ごして、沖ではインカレ開催地の風の傾向を把握するために風グラフを作って練習後のミーティングでプレイヤーと話し合う。そんな生活を続けていると、このチームで勝ちたい、そして自分も勝ちに貢献したいという思いが強くなりました。ここが京大ヨット部での4年間のターニングポイントになったと思います。



87代が始まったときは、より勝つことに拘ることを自分の中で掲げました。当時、同期よりも一緒に過ごしていた87代の先輩方と勝ちたい。京大ヨット部に誘ってくださり、高校からの憧れだった87代主将の南野さんとヨットに熱くなって勝ちたい。ただそれだけでした。マネージャーチームも自分たち3回生が最高学年となり、より一層身が引き締まる思いでした。

マネージャーにクラスの区別はなかったものの、86代に引き続いてスナイプチームと共に過ごすことがほとんどでした。夏の小戸遠征もスナイプチームについて行き、団体戦予選もスナイプのレスキュー、インカレ本戦もスナイプのレスキューをさせてもらいました。

そして、4年間で最も緊張して迎えた琵琶湖インカレは忘れられないものとなりました。目標としていた総合3位を全員で達成したこと、スナイプが1-3-6でフィニッシュしたことなど沢山あります。そんな中で最も忘れられなくて嬉しかったのは、スナイプ3位の表彰にスナイプリーダーの網谷さんと行かせて貰えたことです。これまでやってきたことが報われた気がしました。チームで勝つことの楽しさ、嬉しさ、達成感を感じることができました。



そしてあっという間に最終学年88代が始まりました。

これからのマネージャーチームのことを考え、自分の中の目標を「マネージャーチームが強いチームであり続けられるための土台を作る」ことにしました。自分以外の4回生が就活で長期間休部していたこと、3回生が居ないことで2回生の成長はチームにとって不可欠でした。

やり過ぎなくらいの座学、実際にヨットに乗って座学で学んだことと擦り合わせる、どれも初の試みでしたが2回生マネージャーは付いてきてくれました。本人たちはあまり感じていないかもしれないですが、本当に頼もしいほどに成長してくれました。口酸っぱく言い続けた、マネージャーも勝ちに貢献できることを体感してくれたと思います。2回生でこれだけ頼もしい彼女たちは今後どれほど成長するのかとても楽しみです。

しんどいことも多かった最後の1年間は石橋や小澤、金坂をはじめとした同期にも沢山支えてもらいました。ありがとう。結局、同期が前走ってくれるのが1番嬉しかった。インカレでは目標には届かなかったものの、強豪校京都大学ヨット部のバトンは繋げられたと自信を持って言えます。



京都大学ヨット部にマネージャーとして入ることを決断した1回生、マネージャーの在り方を学んだ2回生、勝つことに拘った3回生、マネージャーチームの未来を考えた4回生。多くの人の支えがあり、とても充実した4年間となりました。関わってくださった全ての人への感謝と更なる京都大学ヨット部の躍進を期待して引退ブログを締めたいと思います。



ありがとうございました。



京都大学体育会ヨット部

88代マネージャーリーダー

畑中 翔

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