

引退ブログ 大島諒也(470・クルー)
こんにちは。第86代主将務めさせていただきました、470クルーの大島です。引退ブログということで何を書こうかとても迷いましたが、今まであまり話したことがなかった後悔していることを書こうと思います。見ていてあまり楽しいものではないかもしれませんが、ブログということでこういうのもいいのではないかと思います。しくじり先生的に見て笑ってください。拙い文章ですが最後までお付き合いいただけると幸いです。 ~1回生~ 入学当初は勉強への意識が高く、サークルに入ってスポーツはほどほどに勉強をガチでやりたいと思っていました。しかし、実際にサークルの新歓に行ってみると、すごく楽しいけどこれを4年間やるのか?と疑問を抱くようになりました。そんな時に、遊びのつもりで予約を入れていたヨット部の新歓に行くと、活動は土日だけでそれ以外の縛りはない。と今自分が探している条件にぴったりの部活でした。ただ一点だけ、ヨットに試乗した時そこまで楽しくなかったという懸念点がありました。自分は体をとにかく動かしてパワーでゴリゴリするスポーツが大好きで、正直ヨットはそれとは異なるスポーツに見


引退ブログ 黒田丈(スナイプ・クルー)
86代スナイプリーダーを務めさせていただきました黒田です。今回は引退ブログということで最後の思いを伝える場をいただきありがたく思います。引退ブログは毎年恒例となっていますが、大きく分けて2つのパターンがあるように思います。1つ目は自分自身のことを振り返りつつ後輩にメッセージを残すもの、2つ目は感謝を伝えるものです。私もリーダーとしてこうしとけばよかった、これはよかったと思うこと、後輩に伝えたいことは山ほどあります。しかし、敗軍の将は兵を語らずということわざにあるように私には何も語る資格はありません。そのかわりに感謝を伝えさせていただきたいと思います。 まず、初めに田中監督、入口元監督、神谷コーチをはじめとするコーチの方々、温かく見守ってくださりありがとうございました。基本的には現役中心で運営していくというスタンスの上で、私たちが悩んでいる時には適切なアドバイスをいただきました。 ここで書いては伝わらないかもしれませんが、社会人の方々と他大の同期から強い刺激を受け、そのおかげで成長することができました。本当にありがとうございました。 最後になりまし


引退ブログ 佐藤弓月(マネージャー)
第86代マネージャーリーダーを務めました、佐藤弓月です。 引退して早くも1ヶ月が経ちました。この1ヶ月という時間を自分のためだけに使うことは約4年ぶりで、どれだけこの4年間ヨット部のことを考え続けていたかを実感しています。 思えば、私にとって意地とプライドの4年間でした。そして、マネージャーという立場について自分に問い続けた4年間でした。 これまで音楽ばかりやってきた自分は、良い演奏をするために、自分が上手くなるために努力してきて、誰かのサポートをしたことはありませんでした。京大ヨット部は「プレイヤーとマネージャーが共に戦う」ことを大切にしています。しかしマネージャーは直接結果を残せません。一緒に戦うって何だろう?自分のサポートで結果が変わるのか?マネージャーのやってることって、プレイヤーでも出来るのでは?と思い始めて頭の中をぐるぐるとさせたことは何度もあります。マネージャーのモチベーションの保ち方は本当に人それぞれで、人によってはそれはもう難しいものです。「ヨット部の人が好き」「雰囲気が好き」でモチベーションを保っていたマネージャーも中にはいる


引退ブログ 奥山凌(470・クルー)
お世話になっております。第86第470クラスリーダーを務めました奥山凌です。 今回は引退ブログと言うことで引退を迎えた今の気持ちを書きたいと思います。 それは、自分を支えてくれた人たちの感謝です。僕は今年クラスリーダーを務めさせていただきましたが、その分OBコーチの方々、また外部から支援してくださる方々、クラスのメンバーとの交流は特に多かったではないかと考えています。その中で自分がヨットを続けていくために様々な人に支えられていることに気づきました。 まずはOBコーチの方々へ。4年間本当にお世話になりました。4回生で幹部という立場を経験して、これまでチームを率いてきたOBの皆様の背中が本当に大きく見えました。また470チームへの金銭的支援をお願いしたり、コーチの方々に何度も指導頂いたり、僕のわがままをいくつも実現して頂いて本当にありがとうございました。自分たちにヨットができているのは、本当に多くの方々に支えられ見守られているからだと気づきました。 470クラス入賞という目標を達成する事はできませんでしたが、今後も京大ヨット部の応援のほどよろしくお願


引退ブログ 定田哲(スナイプ・クルー)
お世話になっております。先日引退しましたスナイプクルーの定田です。引退ブログということで何を書こうか迷いましたが、最後のインカレにて自分なりの視点から見えたことと感じたことを述べたいと思います。 インカレ初日から最終日まで自分はレスキューにて4番艇の交代要員として乗艇していました。その中での自分の役目は上マーク船から送られてくる風の情報と470のレスキューから送られてくる潮の情報をまとめて噛み砕いたものを、レースメンバーに情報としてなるべく端的にわかりやすく伝えるというものでした。 インカレは総合力とよく言われますが、各々の役割による責任の大小は異なると言わざるを得ません。私の役割などレースメンバーの役割と比べれば屁でもないし、4番艇クルーの私の風の分析よりもレースメンバー自身の目で見て感じた情報の方が遥かに正確でしょう。私の分析で例えば左が良いとなったとしても、彼らの選択が右ならば情報としてそれは価値がないですし、そもそもそんな情報を伝えるべきではないです。それよりも双葉が主に担当した備品の方がはるかに大事だし、陸の下級生が担当してくれた書類や


引退ブログ 加藤双葉(スナイプ・スキッパー)
こんにちは。元スナイプスキッパー、そして86代主務を務めました加藤双葉です。とうとう最後のブログとなりました。4年間を思い返し始めたらとんでもない長文になってしまうので、最後の1か月について書こうと思います。 私はペアの原田と軽風の4番艇として夏休みの練習を頑張っていましたが、団体戦予選前の最後のポイントレースで前を走ることができず、5番艇になることが決定しました。予選1週間前という直前も直前という時期に最後のチャンスを与えてもらったにも関わらず、期待に応えることができなくて、チームのみんなに申し訳ない気持ちや情けない気持ちでぐちゃぐちゃでした。原田とほぼ言葉を交わすことなくハーバーバックし解装したのは、ペアを約2年間組んできて初めてでした。その気持ちのまま帰宅し、ぐちゃぐちゃした気持ちを持ちながら、引退までの残り1か月をどう過ごそうか考え始めました。もちろん、もううまくならなくていいやという気持ちは1ミリもなく、インカレまでの練習に全力で取り組むことには変わりないけれど、レースに出る可能性がわずかになった唯一の4回生としてどう過ごそうか。いろん


引退ブログ 川口桂由(470・スキッパー)
こんにちは、86代470スキッパーの川口です。 引退から一カ月程経とうとしていますが、週末に練習がなく部員と接する機会がなくなり、改めて引退したことを実感します。いざ練習がなくなると寂しいものですね。 引退してからというもの、1~2週間ほど寝つけない日々が続きました。連日練習を繰り返し毎日のように部員と顔を合わせていたヨット部生活から、一気に味気ない、虚無な生活に一変し、体は疲れないし結果は悔しいしで精神的にきつかったです。(今はもう大丈夫ですが)そのせいか、履修する講義にもまだ一度も出られていません。困ったものです。 11月下旬からは寒気が襲い、気候も冬の様相を呈している中、現役部員たちは練習にレースと代替わり早々から気合十分で取り組んでいるみたいです。こんな寒空の中で凄いなぁと感心してみたものの、よくよく思い出せば、昨年2月には雪化粧の宮津に片道3時間かけ日帰りで練習していました。古澤の車に乗ってあんな話をしたなぁ…、あの時の練習でランニング上手くなったなぁ…、神谷さんにもっとパンピングしろって言われたなぁ…と朧気にも鮮明にも、様々な記憶が思


引退ブログ 河村和賀子(スナイプ・クルー)
ポジションはスナイプクルー、86代会計でした河村和賀子です。引退するまでの4年間で1番濃かったレースである団体戦予選と、理想のペア関係について書きます。 4年間で1番緊張したのが団体戦予選だった。当初から同志社との一騎打ち感が強く、村山・岡本ペア・南野・黒田ペアの実力は信頼があったので同志社に勝てるかは自艇次第だと思っていた。それに、本当に同期のスナイプクルーの定田は出ていないし、3艇しかいない環境で、自分がレースメンバーであるということを実感した。スタート前までは毎レース、ガチガチに緊張した。正直1レース目は夢心地で記憶がない。そうした焦りが凝縮された2レース目はぶったたいた。 叩いた後は申し訳なさでいっぱいで抜け殻だった。正直クルーだけでも交代した方がいいと思っていた。レスキューの定田に「風見えてると思うし、自信持って頑張れ!」網谷には「次は行けます!!」と励まされ、余計に泣きそうになった。大山が崩したきっかけを自身のミスとしてコーチ達に話してくれたことでちょっと肩の荷がおりた。その結果、自分のプランニングは悪くないと開き直り、『どうせ次たた


引退ブログ 大山亮(スナイプ・スキッパー)
083愛好家の一人として先日引退しました、86代スナイプスキッパーの大山亮です。まずはじめに、引退した日の自分の日記を載せたいと思います。何かを伝えたいとかそういうことではないですが、ヨット部で過ごしてきた思いが詰まっているように感じたのでそのままを残しておきます。 インカレを終えてヨット部での最後のひとときを過ごした翌朝。7時半頃、村山に車で駅まで送ってもらうことになった。扉を開けて外へ出た瞬間、引退を実感した。珍しく朝から東風の吹く琵琶湖を見て、必死でもがき続けてきた自分のヨット部生活は終わったんだと突きつけられた気分だった。おそらく村山も同じ気持ちだったのだろう。「現役として部活に来ることもうはないんか。」ぼそっとそう一言放ちながら、車を発進させた。 動き出してほんの1秒もたたないうちに、村山の目からは涙がこぼれ落ちた。車をとめ、「すまん。」と言い放ち、部員へ最後の別れを告げに戻っていった。インカレ最終日、泣き叫ぶ自分を村山は笑って抱きしめてくれた。だからこそ少し意外だった。村山の涙を見たのは2回目だったように思う。1回目は和歌山インカレで


引退ブログ 井上大地(470・スキッパー)
お世話になっております。4回生470スキッパーの井上大地です。激動の1年間が終わり、最近は平穏な日々を送っています。今回のブログテーマは引退ブログ。4年間を振り返ると書きたいことは山ほどありますが、ここでは後輩たちに伝えたいことを主に書いていこうかと思います。 ①とにかく練習をしましょう インカレ後の最後の言葉で黒田も言っていましたが、結局練習量が一番結果に繋がります。その道のプロになるためには10000時間の練習が必要だと言われています。大学4年間で10000時間ヨットに乗るためには、1年間で2500時間、つまり毎日7時間弱ヨットに乗ることが必要です。休んでる暇などありません。とにかく練習をしましょう。 また、「自分達はここにいる誰よりも練習をしてきた」と自信を持って言えることが、レース当日非常に強い心の支えとなります。私と大島はこの支えがあったからこそ、レース当日限りなく100%に近い力を出すことができました。 ②しっかりと計画を立てましょう 先程10000時間の法則について話しましたが、正直学生の間に10000時間の練習をやり切ることは不可