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引退ブログ 河村和賀子(スナイプ・クルー)


ポジションはスナイプクルー、86代会計でした河村和賀子です。引退するまでの4年間で1番濃かったレースである団体戦予選と、理想のペア関係について書きます。


 4年間で1番緊張したのが団体戦予選だった。当初から同志社との一騎打ち感が強く、村山・岡本ペア・南野・黒田ペアの実力は信頼があったので同志社に勝てるかは自艇次第だと思っていた。それに、本当に同期のスナイプクルーの定田は出ていないし、3艇しかいない環境で、自分がレースメンバーであるということを実感した。スタート前までは毎レース、ガチガチに緊張した。正直1レース目は夢心地で記憶がない。そうした焦りが凝縮された2レース目はぶったたいた。

 叩いた後は申し訳なさでいっぱいで抜け殻だった。正直クルーだけでも交代した方がいいと思っていた。レスキューの定田に「風見えてると思うし、自信持って頑張れ!」網谷には「次は行けます!!」と励まされ、余計に泣きそうになった。大山が崩したきっかけを自身のミスとしてコーチ達に話してくれたことでちょっと肩の荷がおりた。その結果、自分のプランニングは悪くないと開き直り、『どうせ次たたいたら交代だし、せっかくなら1レースでも多く出てやろう』と図々しくヨットから降りなかった。スタートラインに戻ると、他の2艇がいつもよりも話しかけに来てくれて、チームレースであることを再認識し、この2艇とチームであることを心強く思った。ずっとあわよくば1番艇の成績を目指してきたけれど、自艇は3番艇であることを認識させられた。次またたたいたらどうしようという不安と緊張でいっぱいだったが、好きなようにやれと2艇に言われ、好きなようにやれるように、より一瞬一瞬に必死になって集中できる時間が増えた。結果として、その後は立て直せて、他2艇より前で帰れるレースもあった。

 本選の蒲郡は風が吹くだろうし、自艇はクルー2人で風によって交代するので、きっと私の引退試合は琵琶湖になると思っていた。

強風クルーの網谷が加わるとき、はじめは正直、強風で役立たずと言われたようでショックだった。それまで蒲郡や宮津で強風練習してきたのに、あんなにハイクアウトしたのに、自分だけ否定された気持ちになった。けれど、網谷が乗って速い30083を見てから、そんな気持ちは無くなった。自艇が速ければ、チームにとって最善ならそれでいいと思った。

そして、単純に、練習機会の多いはずの軽風でレースメンバーになれたことを誇りに思って、控えている網谷に胸を張れる結果を残せるように練習もレースも頑張った。

 そのため、団体戦予選という大事なレースで自分らしくシンプルに(≒頑固に)考えて、きちんと結果を出せたのはとても嬉しかった。


 このような感じで、結局、最後の年は自分の苦手を克服するよりも得意を伸ばせる環境を作ってもらって、周りのお陰で結果が出せた気がする。それまでも、乗ってもらった全てのスキッパーとの練習によってヨットを乗りこなすための総合力が養われたと思う。どんな配艇の練習でも勉強になることがあった。ヨットは順位が決まるポイントが色々あるが、ペア競技なのでそれぞれの特性・レベルに応じて自分の果たす役割・仕事の重点が変わってくるのが難しい。だから、ペアが決まったら自分と相手の弱さに真剣に向き合うことが大事だと思う。本気になるってそういうことな気がする。その場の関係を気にして発言を遠慮したりしても自分のためにもならないし、かえって相手にも期待していないようで失礼だと思う。たとえ下級生同士だったり、どんなレベルでも、お互いにお互いを妥協しない関係が作れたらどんどん上手くなると思う。お互いに痛いところをつかれ続けるのでストレスはあるけれど、悪いところに向き合って一緒に上手くなりたいという気持ちが伝われば問題ないはず。要は伝え方次第だと思う。私は最後の年にそんなペアを作れた(ほぼ大山が作ってくれた)と思っているので、本選の結果自体は悔しいけれど、後悔はない。後輩たちにもペアと向き合う時間を必要なだけ設けて、お互いに期待し合える関係を築いていってほしい。


長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。4年間お世話になりました。楽しかったです。

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