

ヨット部を引退して #13
第85代主務兼470クルーを務めました渡辺力です。奈良から5回ぐらいブログの催促をされました。ごめんなさい。 引退ブログという事なので、今年1年の思いを綴らせていただきます。今年は昨年度からスキッパー1人、クルー1人が抜けただけで、インカレを経験したメンバーが数多く残っていました。またクラスリーダー主導で遠征を増やしコーチングもしてもらい、今年こそはクラス入賞絶対すると意気込んでいました。その思いで練習に取り組んでいた矢先に活動自粛要請が下りました。 自粛期間も色んな有名なセーラーのミーティングにできるだけ参加して知識を蓄えていましたが、他大学が自分達より先に活動を再開していく様子をSNSで眺める事しか出来ずに焦りが募っていくばかりでした。 本格的に活動再開出来たのはほぼ9月からで、団戦予選まで1ヶ月しかありませんでした。活動再開後、練習の度に成長を感じていましたが、レースでは力及びませんでした。 団戦予選1日目、古澤藤田ペアが順位を崩し、自分達が交代することになりました。団戦予選という艇数の少ない中、見通しをちゃんと見てスタート出来たと思ってい


ヨット部を引退して #12
85代スナイプスキッパーをしておりました村上です。ヨット部を引退し、ヨット部からの連絡が途絶え寂しく感じております。 さて、引退ブログということで、素直な気持ちを綴らせていただこうと思います。 今年の代は3月から8月ごろまでオフラインでの活動を自粛し、ヨットに本格的に乗れるようになった頃にはインカレ本戦まで残された時間は3ヶ月ほどでした。 自粛期間中も気持ちを切らすまいと、チームリーダーの太田や主将藤田を中心に様々な取り組みをしました。筋トレやミーティングを重ねながら、僕自身インカレを意識するように自分に言い聞かせてきたつもりです。それでもヨットに乗れず家に籠る生活をしていると、だんだん無気力になるというか、1年前のこの時期のヨットへの熱量を考えると足らないのは間違いありませんでした。 活動が再開してからは残された時間の短さを感じ、目の前にあるレースや練習に集中して取り組んでいました。 そして、あっという間に和歌山でのインカレを迎えました。 結果はスナイプ級13位、個人成績は42位。 一年前から思い描く結果とは程遠いものでした。インカレが終わった


京大ヨット部を引退して #11
マネージャーリーダーを務めました、島村です。 インカレが終わってから卒論に追われたり、バタバタ過ごしていたらもう年が明けそうです。気づけば私も22歳、学生最後にやってみたかったリゾートバイトで雪山にこもっています。 そんな事はさておき、今までを振り返って引退ブログを書きますね。 この4年間はヨット部のみんなといることが1番楽しく、マネージャーとして、高いスキルを要求されている環境が好きでした。 そんな環境で過ごしてきた3年間はとても早く、レスキューの技術を向上させようと、少しでも分からないことや疑問点があれば、周りの人に聞き、修正をしてきました。艇庫では、練習や試合でどんなことがあっても安心できるような雰囲気を心がけたり、ご飯が体の栄養だけでなく、心も満たせるようなあったかいものになるようにと思って過ごしてきました。 こうして身につけた力を4回生で発揮し、もっとやってやるぞと意気込んでいたところにコロナウイルスが流行し、部活に参加できなくなりました。参加できなくなって気づいたことは、部活という存在の大きさです。私にとっては、部活が生活の中心で、モ


京大ヨット部を引退して #10
お久しぶりです、旧4回生470スキッパーの織田です。最後のブログを書く時が来てしまいました。提出するのが大変遅くなってしまい、申し訳ありません。 私は最後の1年間、殆ど部活に関わらなかったので、このブログでなにを書けばいいか悩みましたが、最後のブログはお世話になった方々への感謝を書こうと思います。 京大ヨット部の魅力の1つは、色んな考えを持った部員が沢山いることだと思います。しかし、考え方は違えど、悩んでいる部員に対し真摯に向き合う部員が多いという点も、京大ヨット部の大きな魅力だと思います。私はこの4年間、多くの方々に助けられてきました。強風の克服を諦め、軽風要員か退部か悩んでいたとき、先輩が女子インに出るよう勧めて下さりました。女子インでの経験は非常に刺激的で、私のヨット部生活は一変しました。3回生の最後まで、レギュラーとしてインカレで活躍することを目標に頑張ることができました。神谷コーチや男子プレイヤーも、強風について相談すると自分のことのように一緒に考えて下さりました。後輩と切磋琢磨できたことも、私にとって非常にありがたい経験でした。また、


京大ヨット部を引退して #9
旧4回生スナイプクルーの金岩です。ついに最後のブログを書かないといけないときが来たのをとても寂しく感じています。 最後の一年間は思い描いていたものとは全く異なるものでした。 いつものように全員で練習をして、みんなでワイワイマネ飯を食べて、夜はゲームで遊んだりして楽しむといった当たり前だったことや、たくさん遠征にいって色んな経験を積む、最後のインカレでは結果を出してみんなに迎えられて着艇する、今年の抱負のブログで述べたやりたかったこともなかなかできなかった。いろいろ悔いが残る事はありますが、制限が多いからこそ、より活動できることを楽しめた一年でした。 最初は圧倒的な居心地の良さに惹かれて入ったヨット部でした。毎日の楽しい環境でやっていく中でヨットに乗ることも楽しくなっていき、結果を残せると楽しい、さらにみんなで結果が残せるともっと楽しいんだ、と色んな経験をさせてもらう中で気づかせてもらい、みんなで頑張ることが楽しいからこそ、しんどいときでも頑張ることができました。 今年自分たちが結果を残すことができず、後輩たちに焦る気持ちをもたせてしまっているかも


京大ヨット部を引退して #8
4回生snipeクルーの奧村歩です。11月の全日本インカレ団体戦をもって86代へと代交替し、私たちは引退しました。ここでは、私のヨット部での歩みを振り返りつつ、引退の挨拶をしたいと思います。 私が京大ヨット部で過ごした4年間は、楽しい思い出や容易く美化できるような思い出ばかりではなく、たくさんのしょっぱい思い出もあります。様々な感情の思い出が含まれた私のヨット部生活はあまりにも多面的であり、「充実した4年間でした」の一言では片付けられない程のかけがえのない日々でした。 しかし、そんな私にも、ヨット部生活を通して根幹に据えていた行動原理がありました。それは、「チームの勝利に貢献する」ことです。私は愛する京大ヨット部のチームみんなで目標を達成して笑顔で喜び合うところを夢見ていました。そのためにまず自分自身が心技体の総合において全国のトップ選手達に伍する実力をつけ、チームに信頼されるsnipeクルーを目指すことが不可欠だと考えていました。さらに、そうした個の実力向上のプロセスで、他のプレーヤーに良い影響を与えて、チームの勝利へと繋げたいと考えていました


京大ヨット部を引退して #7
こんにちは。4回生スナイプスキッパーの飯島です。最後のブログですね。 4年間を思い返してみると、強風のきついハイクアウトでもなく、大事なレースでもなく、何気なく部員と過ごした時間ばかりが思い出されます。自分にとって何が大切だったかが明白ですね。これ、何度言っても断固として信じてもらえない人がいるんですが、僕は陰キャです。研究室でもみんながSwitchをやっている時にも1人でイヤホンをして机に向かってパソコンを触っています。端っこでホコリを主食に生きてます。は?寂しくねーし。うっさうっさ。はい。しかしながらヨット部においては陰キャですと言っても信じない人もいるほど明るく過ごしていました。これは一重に自分が多くの部員のことを信頼していて、素の自分を出すことに抵抗がないことに起因すると思われます。この歳になって新しく多くの信頼できる仲間を獲得できたことは本当に有難いことだと思います。陰キャの僕がこの先どれほどの人とこのような関係になることができるでしょうか。不安になってきたのでこの話はやめましょう。僕より陰キャのみんなは本当に危機感を持った方がいいよ!


京大ヨット部を引退して #6
85代マネージャーを務めました、田中と申します。大学4年間ずっと頭のどこかにあった部活という存在がすっかり抜け落ち、今は無心でアルバイターをするか社会人に向けての準備や勉強に向き合う毎日です。そんな日々の中で、純粋にヨット部を離れることの寂しさをひしひしと感じています。 ヨット部生活を振り返り、今思うことは「とにもかくにも辞めないで続けてきて本当によかった」。これに尽きます。ご存知の方がほとんどですが、私は4回生からマネージャーに転向し、それまでは470クルーとして所属していました。2回生の女子インまでは特に悩み事も無く、ただ470に乗ることを楽しんでいるだけで十分でした。しかしその後は悩むことが多く、部活に行くのが憂鬱な日が続きました。遠征メンバーになかなか選ばれず、また成績も伸びなかった私にクルーとしての存在価値はあるのだろうか。いっそヨット部を辞めてしまって、他のことに時間を費やそうか。答えの出ない自問自答を繰り返し、先輩や同期、後輩に対してずっと曖昧な態度を取り続けていました。今考えるとこの時期の私はすごく接しづらかったと思います…本当に


京大ヨット部を引退して #5
お世話になっております、4回生470スキッパーの中川武洋です。今回は引退するにあたっての思いを綴らせていただきます。 思い返してみるとこの部活での4年間は、いろいろなイベントがあり、遠征があり、普段の練習も含めて本当に楽しい時間を過ごさせていただきました。それでもやはり、強く記憶にのこっているのはずっと練習を積み重ねたペアと出たレースでいい結果を出せた時のうれしさや、思うような結果が出せなかった時の悔しさです。ただ去年以前のことを細々と書くのは苦手なので、ここでは今年の団体戦のことを自分の視点で書かせていただきます。 今年、470チームは団体戦予選を4位で落選して実質引退という形になりました。戦力的には今年は去年のレースメンバーからクルー1人スキッパー1人が抜けただけで、新艇もあり少なくとも予選は通ると僕自身も思っていました。ただ、他の大学は自分が思ったよりもすこし速くて、ついていくのがやっとでした。 最終レースが終わりハーバーまで戻るときに、わかっていたはずの自分の課題を解消しないままレースに臨んだことをとても後悔しました。ハーバーに戻り、支え


京大ヨット部を引退して #4
いつもお世話になっております。85代でスナイプスキッパーを務めました、福矢一貴です。11月をもって85代は代交代となったので引退の挨拶をさせていただきます。 まずはじめに、85代の活動を支えてくださった、監督、コーチ、OB,OGの方々をはじめとする全ての京大ヨット部の関係者の皆様にこの場を借りてお礼申し上げます。 振り返ってみると、京大ヨット部に入部してから引退するまでの4年間は終わってみるとあっという間でした。4年間、多くのお金や時間を犠牲にして、またしんどいこともある練習に耐え、ヨット部として活動して来れたのは、ヨットが楽しいだけじゃなく、京大ヨット部というチームで活動することが楽しかったからだと思います。 最後の年はコロナのせいで練習できない期間が長く続き、練習できない間はモチベーションをうまく保つことができませんでした。それでも、練習再開後はスナイプで優勝することを目標にして練習を頑張ってきたつもりでした。しかし、結果は13位という目標とは程遠いものになってしまいました。インカレ団体戦が終わってしばらく経ちますが未だに、練習できない間にも