

思い出のレース #13
こんにちは、4回生スナイプクルーの金岩です。今回のテーマは「思い出のレース」ということで、去年の全日本インカレ団体戦本戦について書きたいと思います(色々ありすぎたのと緊張もあってうろ覚えのところが結構ありますが… ^^;)。 このレースではチーム全体としてはとても良い結果となったのですが、自分たちにとっては地獄から天国まで波乱万丈すぎたレースでした。全部について書こうと思っていたのですが長くなり過ぎそうだったので、全容についてはまた今度にとっておいて、その中でも一番やらかしたレースである1レース目(地獄パート1)について主に書くことにします。 1レース目、右海面が伸びると思い、上からでることを決め、周りの船と牽制し合いながらいい感じに並べていたところの前に上から船が降ってきて、そこから出ることは絶望的な状況に。すぐその場から抜け出し開いているスペースを探したものの、直前に行われたプレレースで圧倒的に右が伸びたこともあり、上は激混み。第2線からの爆死スタートとなり、必死でタックを返せるスペースを探したけれども圧倒的艇数で同じく爆死スタートをしている


思い出のレース #12
お世話になっております、3年生470スキッパーの川口です。今日は1年生時に出た同志社weekを思い出のレースとして書かせて頂きます。 毎年寒い寒い春合宿の集大成兼次年度に向けた試金石として位置づけられる、また下級生にとっては数少ない参加艇数の多いレースです。(今年はコロナの影響で中止となってしまい、仕方ないことですがやはり残念です。)このレースが思い出に残っているのは自分の不甲斐なさを痛感させられた経験からです。 上級生と教育ペアを組ませてもらっていたそれまでとは違い、春合宿は初めて同期ペアで乗るようになりました。今までとは違い、教えてもらうばかりでなくより自発的に考える必要があり、難しいながらもそれ以上に、数カ月前に乗り始めた自分たちで船を操ることのできる喜びや楽しさを感じていました。プラーを入れようとマストを逆ベンさせた日や寒さと強風に蹂躙された日々を経て、春合宿の頑張りを結果で示そうと意気込んで同志社weekに臨みました。 1年生同士でレースに出るのは始めてだけど負けたくないという気持ちとは裏腹に、実力はまだまだでした。細かいレースの位置取


思い出のレース #11
こんにちは、4回生の北尾です。今回は「思い出のレース」というテーマでブログを書かせていただきます。どのレースについて書こうか迷ったのですが、自分からは「2019年 個人戦予選 」をあげさせていただきます。 僕が乗っていた4010はこの大会前の強風メイレガッタ/プレでマストのひびがひどくなり変えたり、沈おこしでセンターが削れたりと、大会に向けて多く整備することから始まりました。当時のペアだった大島と平日授業後に1時間自転車をこいで艇庫で整備したりをしているうちに船にかなり愛着が湧きました。 すると整備した甲斐もあってか個人戦予選直前期の練習ではかなりボートスピードが良くなりました。大会で上位艇に負けない走りを。そう思って意気込んでいたのを覚えています。 ところがレース1日目、結果は10-DNF-21-16。想像していたよりは走らず、まあ2日目に向けて切り替えて行こうと思っていた矢先、2日目初めの5Rではフィニッシュウィンドウにギリギリ間に合うようなゴールとなり、この時はかなり落ち込みました。これより前の大会でもあまり走らなかったので、(競技自体向い


思い出のレース #10
こんにちは、3回生スナイプクルーの黒田です。今回は思い出のレースというテーマです。正直、思い出深いレースが多すぎてどれを書いていいか悩ましかったです。初めての全日本個人戦、トップホーンを鳴らした東日本スナイプ、そしてチーム優勝をした全日本団体戦。どれもが思い出深く、一生ものの経験です。ですが、ここでは敢えてそれらのレースとは違う意味で思い出深いレースについて書かせていただこうと思います。それは、ホッパーで出場した人生初めてのレースです。 人生初めてのレースの一週間前、私は残念なことに右足を捻挫してしまいました。捻挫といってもそこまで軽いものではなく、足首が普段の2倍まではれ上がるほどでした。ですが当時の私は少しでも同期より評価されたいと思っており、まだ通常の1.5倍ほどの大きさを保っている足首を引きずりながらもレースに出場することにしました。正直、この状態で同期に勝ったらおれの評価はうなぎのぼりやくらいに思っていました。ですが、現実はそうは甘くなかったのです。 その大会では2レース行われる予定であり、1回生の人数とホッパーの艇数の関係上、1レース


思い出のレース #9
こんにちは鈴木晟太です。今回は思い出のレースについて語らせていただきます。 とは言いましても、心に残るのは悔しいレース結果ばかりです。ここで一つ、自分の中でピカ1に悔しかったものを書かせていただきます。(記憶があいまいなので、結構盛って書きます。) 時期は確か、ヨット生活の中でも初々しい時期のレースだったと思います。いつも通りほぼソウルメイトの大地と共にレースに臨んでいました。二人とも一回生(二回生だったのかもしれない)というのもあり、その日のほとんどのレースが散々でした。ほとんどが最下位に近い順位。大体1上くらいでスナイプの上位に抜かされ、京大スナイプの村山、丈ペアと争った後、抜かれていく。そのあとは、毎度の470最下位メンバーと切磋琢磨、DNF回避のために努めていました。ここの層は大声を出せば、自分がポート艇であっても避けてくれます。適切なプロテストを提示しても二回転してくれません。なんせ、DNF、生き延びるが正義、ただのスラムです。 こんなスラム街で泥試合を繰り広げ、あがいていた僕らでしたが、最終レースを迎えました。心が衰弱しきっていました


思い出のレース #8
こんにちは、3回生スナイプクルーの定田です。思い出のレースということで、今までさまざまなレースに出させてもらいましたが、中でも間違いなく思い出深いのは2回生の時大山と乗り切ったレースシーズンです。なかなか前を走れなくて、それでも諦めずに最後まで一緒に本気でレースメンバーを目指して努力したのは、今でも僕のヨット部生活における軸となっています。それを書こうかと思いましたが、思い出深すぎて多分読む皆さんが耐えきれないと思うので、今回はホッパーで初めて出た名前も忘れたあの草レースについて書こうと思います。 京大は毎年入ってきた1回生は夏前までホッパーに乗って練習しています。僕は同期の中でもホッパーがものすごく下手でした(1日で24沈くらいした)が、ハイクアウトするのがすごく楽しかったのであまり気にしていませんでした。そして初めてホッパーでレースに出れるらしいみたいなニュースが6月くらいに舞い込んで、皆は"レースで前走ったんで"みたいな感じになっていましたが、それでも僕はハイクアウトするのが楽しかったのであまり気にしていませんでした。 そして迎えた初レース


思い出のレース #7
3回生470スキッパーの角岡あかりです。思い出のレースを一つに絞るのはなかなか難しいですが、今回は昨年の女子インカレについて書かせていただきます。 女子インにひなさんと出させてもらえることが昨年の春先に決まりました。それ以来、スキッパー過多のために出場レース数が少ないスキッパーもいる中、昨年のレースシーズンは女子インに向けてずっとひなさんとフルで4174に乗らせてもらっていました。最初はひなさんとそんなに喋る仲でもなかったので、うまくペアとして女子インを迎えられるのか正直不安でした(ひなさんもそう思っていたと思います笑)。意見が一致しないことも、艇内環境がピリつくことも、強風で全然走れないこともありました。それでも、爆風のなかポートで突っ込まれ初めて相手艇に怒鳴ったメイレガッタや、フィニッシュウィンドぴったりでゴールしたプレ、テンションが途中で飛んだ個戦などを経て、時々1上で一桁を取ることや、琵琶湖470で6位をとったりするようにもなりました。こんな環境で練習させてもらうのはなかなかないチャンスだと思った一方、その分成長しなきゃと、昨年のオリちゃ


思い出のレース #6
こんにちは、4回生470スキッパーの中川武洋です。今回は思い出のレースについてブログを書かせていただきます。 思い出のレースといってもいくつかあるのですが、今回は昨年のインカレ団体戦の最終レースについて書こうと思います。 このインカレでは、前入りした練習期間は艇の調子はわりと良かったのですが、レースが始まってからは始終調子が出ず、初日の軽風の2レースもパッとした成績ではなかったのを覚えています。今思うとなんだかんだ言って緊張していたんだろうと思います。二日目、三日目は風が吹かずノーレースとなり、四日目不安定な風の中なんとか結果を出したいと思いながらスタートした最終日の1レース目はことごとく風が逆に振り、ほぼ最下位でフィニッシュしました。二人とも沈んだ気持ちのまま迎えた最終レースは1上は10位代前半で回航し、フィニッシュは20位代で結果から言えば悪くない程度のレースでした。結局レガッタを通しても最終レースだけ見ても特に内容が良かったわけではありません。ただこのレースが苦い思い出ではなく良い思い出として残っているのは気持ちの切り替えがうまくできたレー


思い出のレース #5
いつもお世話になっております。4回生スナイプスキッパーの福矢です。今回のブログのテーマは「思い出のレース」です。これまで経験したレースを振り返ってみて、最も思い出に残っているレースはやはり優勝した昨年の全日本インカレの団体戦です。が、僕と同じように考えている部員もきっと多くてネタがかぶりそうで、またこのレースについては先輩方の引退ブログなどでよくよく語られているので今回は別のレースについて書こうと思います。 それは昨年7月に葉山で行われた東日本スナイプです。初日は順風くらいでレースが行われ、自分たちのフネは関東の強豪校に全く歯が立ちませんでした。このレースが印象深いレースになった理由は2日目にあります。この日は朝から非常に強い北風が吹いており、一応艤装はしたもののレースは行われないだろうと思っていました。しかし、ブリーフィングでレース委員長の方が、沖の方では30knotくらいはいっているが岸の方では少しましだから岸の方ではレースができるだろう、というようなことをおっしゃって、AP旗も降りました。出艇するか悩んでクルーの南野とも話し合い、結局風が少


思い出のレース #4
いつもお世話になっております、主将を務めております4回生の藤田です。外出自粛期間が長期化しておりますが、皆様はどのようにお過ごしでしょうか。このブログを読んで数分ほど暇をつぶしていただければ幸いです。 今回のテーマブログは思い出のレースです。好評につき2回目となったようです。私も同じテーマで2回生のころにブログを書かせていただきました。当時はレースメンバーでもなんでもなかったためどのレースについて書くかをかなり悩んだ記憶があります。(その時は初めての遠征について書きました。) あれから1年半ぐらいの月日が過ぎ、昨年は470チームのレースメンバーとして主たるレースにはほとんどフルで出場させていただきました。それらの数あるレースの中で全日本個人戦本選をあげたいと思います。 このレースでは、前日くらいから緊張していて自分でもどうしていいかわからず、普段はやらないのにレースの当日の朝早く起きてホテルの露天風呂に行ったりレース中も喉が渇きすぎてえずいたり、初めての全国の舞台で1レース目からいつも通りではありませんでした。1日目はスタート後の