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引退ブログ#8小澤諒真


87代で部活を辞めよう。


入部から僅か数ヶ月にしてそんなことを考えていたのを今でもはっきりと覚えている。編入学した私は飽く迄も旧友を追いかけて入部しただけに過ぎず、部には愛着もなければ育ててもらった恩義もなかった。そんな私が何故に部に残ることを選んだのかは自分自身でもはっきりとは覚えていない。強いて言うなら四回生次の成績を旧友と競いたかったこと、87代の劇的な引退を見て”それ”をもう一度経験できるなら悪くないと思ったことが影響しているのではないだろうか。


しかしながら、部を続けてみたところで当初の入部理由が失われてしまったことに変わりはなかった。練習に於いてもレースに於いても”勝てる相手”と”勝てない相手”はいつも同じであり、上位層にも中堅層にも属すことができない自分を突き付けられる毎日に孤独感が増していった。ただリーダーとしての責任を意地と義務感で抱え込む為、投げ出すことによって私の矜持が傷付かない様にする為だけに原付を柳が崎へと走らせた。


私にとっての部活は”仕事”へと変化していた。デジタル大辞泉によると仕事とは「何かを作り出す、または、成し遂げるための行動」らしい。私はこの”仕事”に対して比較的勤勉であった。87代の引退を目の当たりにした私にとって「成し遂げ」た先にあるものはいずれもが悦びに満ちており、髪を白く染め上げる程の心労の対価として十分であると盲目的に信じ込んでいたからであろう。いや、クラスリーダーというものはきっと、押し並べてその盲信によってその日暮らしの原動力を得ており、私もその一人に過ぎなかったというだけなのだ。


意外にもというべきか、やはりというべきか、待ち受けた現実は私の信じたものとは異なっていた。私はここ十数年、或いはここ数十年の国立大学の中で最強格と言える470チームを作り上げた。個人成績も抜群によかった。団体戦における京大470の非ジュニアでは数十年ぶりの成績であることは明らかだった。これらは紛れもない客観的な事実であった。然れども470チームの功績はあまり多くの人には喜ばれなかったように私は思う。少なくとも昨年度のそれや七大戦のそれよりは遥かに少なかった。チームとして勝った喜びはあまり多くの人とは共有できなかった。私は自身の”仕事”を全うしたと信じていた。京大の470チームは強かった。すごく強かった。強いだけだった。私の現役生活は「何かを作り出す、または、成し遂げる」ことなく幕を下ろした。


さて、”仕事”という表現をすると「楽しくない」が黙示的に含蓄されていると思われがちであるが、私の”仕事”は必ずしもそうではなかった。労働からも往々にして楽しみが見出されるように、私がこの”仕事”を通じて喜びを味わったことは決して少なくない。470リーダーの仕事に嫌気がさし、あまつさえヨットをも嫌いになりかけていた時、セーラーとしての純粋なヨット競技の楽しさを伝えてくれたのはヨット競技と正面から向き合い続けた赤城であった。胸が痛むような選択の数々に心の荒廃が進んでいた時、心からの感謝の言葉を、そしてリーダーを続ける意味をくれたのは十枝であった。精神的な苦痛に耐えきれず限界を迎えそうになった時、いつも一番に私に声をかけ、私が一人の部員であることを実感させてくれたのは玉木であった。


彼らをはじめとして畑中、中根、保家、古閑ちゃん・・・ ここでは割愛させていただくが思い返せばキリがない程多くの人に支えられながら過ごした1年間であった。そしてその人々の大半が私を救ったという自覚を持っていないだろう。そして今ならば「何かを作り出す、または、成し遂げる」為に不足していたこと、それが彼らに感謝を伝えることだったのではないかと思う。私が私は面と向かって感謝を伝えるのが大変苦手であるのでこの場を借りての感謝という形で勘弁していただきたい。


未熟な私と共にヨット部でいてくれて本当にありがとう。



京都大学体育会ヨット部88代470リーダー

小澤諒真

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