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引退ブログ#6赤城昂輝


『引退ブログ兼フルセイル 』赤城昂輝


最も困難な道に挑戦せよ


私の母校である湘南高校の校訓です。とはいっても高校生だった当時はこんな言葉気にかけていませんでした。周知の通り私はクソザコナメクジ水泳部員でしたから。


私は高校を卒業して、京大ヨット部で過ごすうちにこの言葉が好きになりました。


今思い出すとヨット部への入部は適当に決めました。学部のクラス会で殆どの同級生が所属団体を決めていると知った帰り、「そろそろどっか入るかぁ」と思っていたところに、たまたま旺成さんがトーク履歴の上の方にいたので入部宣言をしました。従ってこの時点では京大ヨット部が強豪校だとも知らなかったし、ヨットで活躍しようなどとは微塵も考えていませんでした。


そんな私に転機が訪れたのは3回生の春合宿でした。それまで遊び感覚でヨットに乗っていた私は、1番艇に乗ることになりました。理由は体格が調度良いからです。一緒に乗るのは当時の470リーダーである古澤さんでした。そして「出世」を果たした私に、同期は期待の目を向けてくれました。でも当時の私はこの「出世」を素直に喜べていなかった。生半可な気持ちで部活に行っていた自身の心持ちと技術が、置かれている状況や周囲の期待と乖離しすぎていて、スタメンに抜擢されたのにとても苦しい期間でした。


古澤さんと乗った時間は辛かったですが、チームの代表として船に乗る責任、結果にこだわることの大切さを沢山学びました。そして私は、結果にこだわる芯の強い人間になっていました。唐津での全日本470、強風で全く走れなくてリタイアした時、気がついたら着艇後に号泣していました。部活なんて暇つぶしくらいにしか思ってなかったのに、変わっている自分に驚きました。この大会の後からは小澤とペアを組み始めました。小澤はクルーへの要求が多いタイプで精神的に辛くなる場面が増えましたが、変わった自分を曲げたくなくて、必死に食らいつきました。そして迎えた琵琶湖インカレ。ペアとしてもチームとしても結果を残せて、これ以上ない達成感を覚えました。


そこから引き続き小澤とはペアを組みました。ジュニアの連中に挑戦し続けたレースシーズンは、ペアとしてのパフォーマンスがどんどん上がって、結果も残せて、滅茶苦茶楽しかったです。だからこそ、最後の最後で個人戦に出れなかったのは悔しかった。小戸インカレでこそ絶対に結果を出すぞと、強く思うようになりました。10月は国体に出て、その後一番乗りで福岡入りし、ヨット漬けの生活を送りました。そして本番では個人成績13位、クラス別では5位入賞という結果を残せました。1人の選手としてはヨットを楽しみながら、結果も残せた最高の大会でした。


私はとても怠惰な人間でしたが、ヨット部での困難な道に挑戦する中で、気がついたら目標に向き合い、結果を追い求める人間になっていました。個人と同じようにチームも、何かに挑戦する中で変わっていくのだと思います。総合6位という結果で微妙な雰囲気になっているチームを見て、もうただの入賞で満足出来るチームでは無くなっているのだなと思いました。目標こそ達成できなかったけれど、チームが成長していることを実感しました。このチームは、もっと強くなれると思います。後輩たちの活躍を期待しています。

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