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引退ブログ#6 倉田章史

  • 執筆者の写真: kuyc-home
    kuyc-home
  • 6 日前
  • 読了時間: 4分
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私の選手としての目標は、インカレの舞台で走ることでした。しかし、4回生の新歓後の最初のレースで自艇に穴が空き、結果も振るわず、さらに腕を故障してしまいました。その時点で、目標としていたインカレ出場は極めて困難になりました。


では、これまで努力し、多くのものを犠牲にして部活をつづけた意味は何だったのか。ここで損切りをして退部し、大学生活3年間と仲間との関係を捨てるという選択は、私にはできませんでした。


ケネディは「社会が自分に何をしてくれるかではなく、自分が社会に何ができるかを問え」と述べています。振り返ると、私に欠けていたのは主体性でした。部がどんな知識を、何番艇を、何年のセールを、どんなクルーを与えてくれるのかばかりを求め、部のために自分から良い影響を与えようとしてこなかったのではないか。そう気づきました。


腕を故障したことで、私は選手としての貢献以外の道を模索しました。そもそもインカレに出ることを目指した理由は、京大ヨット部の成績に貢献したいという思いでした。であれば、前を走ることだけが貢献ではない。腕を壊した自分にもできることがあるはずだと、涙をこらえながら考えました。


当時、部にはジャッジ資格を持つ部員がおらず、審問に弱点がありました。ならば自分がその穴を埋めようと決意し、日本一の審問力、ひいては「京大の失格ゼロ」を目標に掲げました。


もちろん失格をゼロにすることは容易ではありません。不注意によるケースは常に起こり得ますし、証拠が乏しく、証言が重視されるため、航路権艇が有利に扱われることも多いと感じていました。だからこそ、部員が正しい知識を持ち、非航路権艇では無理をしないという文化を本戦までに育てようと考えました。


審問の経験を積むため、5月に京都府セーリング連盟へ審問補助を申し出て、ジュリーとして活動する機会を得ました。ジュリーボートの動き、洋上でのペナルティの見方、審問の進め方を学ぶことができました。特に嶋さんという師と出会えたことは大きな転機でした。嶋さんは私の学びたいという思いに応えてくださり、講習会を開催してくださっただけでなく、別の大会でのジャッジの機会にもつないでくださいました。社会人ジャッジの皆さまは質問に真摯に向き合い、ヨットレースの円滑な運営に尽力しておられ、ヨット競技が多くの支援で成り立っていることを強く実感しました。


ルールを学ぶうちに、無機質に見えた条文が生きた意味を持ち始めました。一語一語が選手を守るために存在している。法律の勉強にも、この熱意を向けられているだろうかと自分を省みました。


得た知識は部内で共有し、質問に答え、ケースを起こすことがいかに不毛かを繰り返し伝えました。その成果もあってか、京都大学は七大戦で1位を獲得し、団体戦予選も失格ゼロで通過することができました。


本戦初日、私はほとんど緊張していませんでした。私の役目は、本戦までにケースを起こさない文化を育むことだったからです。ただ、もし自分が選手として出られていたらどれほど胸が高鳴っただろうと考えると、冷静でいられる自分が少し悲しくもありました。それでも選手を信じ、彼らは実力を発揮してくれました。本戦ではいくつかのケースに巻き込まれながらも、京大ヨット部は失格ゼロで戦い抜くことができました。これはひとえに選手と支援者の努力の賜物です。


部活動を通じて、戦っているのは選手だけではなく、組織に貢献する方法は無数にあるのだと知りました。また、嶋さんをはじめジュリー・レースに携わる皆さま、OB・OGの方々、家族、多くの支援者の存在によりヨット競技が成り立っていることも強く実感しました。


これからは私が支える番です。学んだことを胸に、社会人として組織に、そして社会に貢献していきたいと思います。


最後になりますが、部員の皆さま、支えてくださった家族、OB・OGの皆さま、そしてヨットレースの運営・競技の発展に携わるすべての方々に、心より感謝申し上げます。


ご精読ありがとうございました。


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