ヨット部を引退して #6
こんにちは。84代マネージャーリーダーを務めさせていただきました佐藤です。 引退してはや数週間がたとうとしています。ここではマネージャーチームの事ではなく、自分自身について振り返って書いてみようと思います。最後まで読んでいただけたら幸いです。 中学生の頃、転校先で部活に入れずにいた私に剣道部の顧問の先生が声をかけてくれたことから始まった、運動部マネージャーという立場。まさか、大学でもマネージャーをすることになるとは思いませんでしたが、友達の付き添いで足を運んだヨット部の試乗会で京大ヨット部の雰囲気の良さに惹かれ、直感と勢いで入部を決めました。当時は、ヨットがかっこいいとか、頑張っている選手を支えたいといったマネージャー精神はなく、ただただ「雰囲気が良くて楽しそうだから」といった至極単純な理由からの入部でした。 そんな軽い気持ちで入部した私にとって、最初の1年間は苦闘の毎日でした。実際にレスキューボートに乗り、選手や先輩方の勝利にかける想いを間近で見る機会が増え、こんな軽率な気持ちで入る場所ではなかったと後ろめたさを感じることも多々ありました。あまりにも周りの先輩方や選手との持っている想いの強さと自分との差が大きく、引け目を感じていました。加えて、私は何事も人より覚えるのが遅く要領も悪かったので、何とか時間をかけることで補おうと日々もがいていました。皆のように高いモチベーションを持って部活に取り組めない自分、飲み込みが遅く迷惑をかけている自分、これらのコンプレックスと社交的ではない性格が相まって、1回生の夏が終わる頃までは同級生ですらほとんど会話を交わさず、ただ指示されたことを黙々とこなしていく日々が続き、部活は私がいなくても成り立つのではないかとさえ思うようになりました。 そんな、部活に対して後ろ向きだった私が何故すぐに辞めなかったのか、それは他の人のような「チームが好きだから」と言ったまっすぐなものではなく正直に言うと「意地」でした。次々と辞めていく同期を横目に、「もし私が今辞めたとして残るものはなんだろう」と考えるようになり、辞めるという選択肢は私の中で「部活から逃げた根性無しの自分」ということ以外何も残らないと考えたのです。そんな自分になるのであれば、今がしんどくても何か一つこれだけはやり切ったと自信を持って言えた方がきっと自分を好きになれるのではないか。そんな自分勝手な「意地」で続けていました。 しかし、上回生となり後輩ができたことで、私自身に変化が訪れ始めました。今までは一番下の立場で教えてもらうことだけだった自分が今度は他人に教えていかなければならない。そのため、技術的な面で今までのように甘ったれたことは言っていられなくなりました。後輩のマネージャー達はみんな飲み込みも早く部活にかける想いも初めから熱く、「こんな私が彼女達の先輩では情けない」と彼女たちに背中を押してもらい、いつしか以前より部活に対して熱中している自分がいました。 また、徐々に周りの部員とも打ち解けることが出来るようになり、気が付くと同期をはじめヨット部の仲間たちが自分にとって欠かすことのできない大好きな存在になっていました。 そして、代交代の時に「速くなりたい」と言って泣いている同期、部活での自分の在り方に悩んでいる同期を目にする中で、「この人達を支えていきたい。この人達と同じ気持ちで最高の景色を見たい。」と思うようになりました。 それからは、自分の中でも、「一に部活、二に部活」と言うほど、ヨット部に対して熱中し、そんな自分も好きでようやく京大ヨット部の一員としての自分を認めてあげることが出来るようになりまた。3回生の終わりには、自分もヨット部のマネージャーという立場でもっと部活に貢献していきたい、部活を引っ張っていきたいとう使命感さえありました。 しかし、マネージャーリーダーとしての最後の一年間は決して胸を張れるようなものではありませんでした。意気込んだ矢先に先輩方の引退や部活を去っていく後輩、寂しいことが続きました。一時は15人いたマネージャーは6人にまで減りました。15人で築いてきた今までの「マネージャー体制」に追いつき、追い越さなければならないという焦りと不安感で押しつぶされそうになりました。さらに、ここで自分の要領の悪さが足を引っ張りました。就職活動を理由に、ヨット部にあまり顔を出せなくなりました。部員の中には同じ就職活動中でも部活に参加している人もいる、私は甘えているのではないか、もっと部活を優先できるのではないか、マネージャーリーダーとして力量不足なのではないか、そんなやるせなさと申し訳なさから大好きな部員とも以前のようにうまく話せなくなりました。こんな自分が部の一員として「勝利」を目指していいのかさえ分からなくなりました。こんな悩みを一生懸命部活に取り組んでいる部員には打ち明けることもできず、頭の中は後ろ向きな考えばかりぐるぐると巡っていました。そんな不安定な精神状態と7月から続いていた夏風邪をこじらせたことが重なり、ついに8月中旬に身体的にも精神的にも限界を迎えてしまいました。本当に今思っても情けなく恥ずかしい限りです。 そんな負けメンタルな私に転機がありました。8月末に行った蒲郡遠征と全日本個人戦です。隅田がブログで書いていたように、本当に密度の濃い練習と遠征でした。こんなに部活に心から没頭できたのは久しぶりでした。遠征中はご飯づくりもなくひたすら沖出艇が続きましたが、その久しぶりに感じたスパルタ感に「ああ、部活してる!」と実感でき、体は疲れているはずなのに着々とメンタルが回復して2、3回生の時のような気持ちで部活に取り組み始めていたのです。その後の個人戦本番では、「トップホーン鳴らすわ」と言って出艇していった同期が本当にトップホーンを鳴らして帰ってきたこと、以前「速くなりたい」と泣いていた同期が全国の個人戦で入賞したことに感無量でした。470の最終レースのフィニッシュ時には、色んな思いが混じり合いレスキューボートの上で涙がにじみました。この時、ずっと心にかかっていたもやもやとした思いが一気に晴れたような気がしました。私にとってはターニングポイントとなる遠征とレースでした。 そして迎えたインカレ本戦、マネージャー含めたサポートメンバーは各々の立場で最高の力を発揮してくれました。いつも通り頼りになる3回生マネージャー、しっかり先輩の顔になっている2回生マネージャー、自分にできることはないかと一生懸命取り組んでくれる1回生マネージャー、そして最後まで共にいてくれた同期のかず。皆かわいくて、面白くて、それぞれに良さがあって…。皆から「みのりんさん!」と呼ばれるのが大好きでした。全員が頼もしく、誇らしいです。皆の力があってこそのスナイプ級優勝と総合入賞です。時には無理をお願いしてしまったり、上手に伝えることが出来ずに気を使わせてしまったこともあるかもしれないけれど、それでも最後の最後まで一緒に頑張ってくれてありがとう。これからも、自信をもって京大ヨット部のサポートを頑張ってください。応援しています。 最後に、私には、選手としてのヨット人生はありません。間接的にも自分がヨットをしているという意識をもったことはありません。強風の中、死ぬ気でハイクアウトをすることもシートを力一杯引くこともありませんでした。もし、あえて自分のヨット人生を語るとするならば、その主役はいつだって自分ではなく仲間のみんなです。4年間所属したこのチーム、マネージャー仲間、そして1回生の頃から一緒に頑張ってくれた同期は私にとっては唯一無二の存在であり、私のヨット人生は彼ら彼女らのヨット人生なのです。まっすぐに部活に取り組めない時期もありました。それでも、皆とうれしさや悔しさを一緒に感じ、受け止めながらここまでやってくることが出来ました。1回生の頃に辞めなかったこと、何一つ後悔はありません。本当にありがとうございました。