思い出のレース#21
思い出のレース 3回生スナイプクルーの長浜です。 僕が三年間の中で一番思い入れのあるレース(レガッタ)に次のものをあげたいと思います。 「2017年度 第3回 江ノ島スナイプ一日目 30083高木・長浜組」 結論から述べますと、今までのヨット生活で初めてどん底に突き落とされたような感覚を味わった“負”の思い出のレースでした。 2回生の9月、当時の3,4回生主体の江ノ島遠征に同行させていただけることになりました。当時のエーススキッパー高木さんと組むということに加え、噂の鈴木家、青木家にお邪魔させていただくことができると決まり、ワクワクが止まりませんでした。 レースの1週間前に江ノ島入をしたので、練習を行ってからレース参加という予定でしたが、ついた初日から爆風の赤旗掲揚で、早々と洗礼を受けました。 練習では早稲田大学、東京大学との合同練など、ほぼはじめての海に、濃い練習内容とかなり有意義なものとなりました。 そして、レース本番。 頑ななZ旗運営で11回くらいゼネリコした後のスタートとなりました。 正直コースなんて覚えていません。それもそのはず、当時の実力ではいつもの琵琶湖と違う海でのコースの引き方など全くわからず、とりあえずシーブリーズを常にリフトで受けられるように真ん中展開して上っていこうという漠然としたプランニングしかできていませんでした。 しかし、ビッグフリートであったため同ポテの船が多すぎて、タックを“させられる”後手後手のコースになってしまったのを覚えています。 また、緊張しすぎてほとんどの動作がきれいに決まらず、それだけで順位を落としている感覚さえありました。 極めつけには、マークアプローチの判断が少し遅れてしまったことで、目の前にはこれまでに見たことのないスターボの大名行列ができていました。 この壮絶な闘いの雰囲気と江ノ島の波に飲み込まれ、めったに折れない僕のメンタルは八つ裂きにされてしまいました。 ハーバーバックまでのランニング中、2000回くらい謝り続けていました。 団体戦予選前の最後のレースなのに、僕のせいで高木さんが自信を失っていたとしたらどうしよう、それはエースを殺してしまっていることになるぞという罪悪感に耐えきることができませんでした。 青木さんの家でお母さんの手料理を食べた瞬間、まじで10年ぶりくらいに泣きそうになりました。目の前に座っている高木さんを見たら喉が詰まって、食事中人生で初めて一言も発せませんでした。 結局この日は確か31位と46位だったと思います。(2日目も同じ感じ) もっと悔しいのは一度交代で乗った、高木・加藤組が普通にシングルだったことです。 このビックフリートでシングルを取れるスキッパーにもかかわらず、僕が乗ることでその力を相殺、いやむしろマイナス方向に引っ張っている、なんならラダーに絡みつく藻よりも自分のほうが大きな抵抗になっているという経験を初めて味わいました。同時に今まで確固たる意識を持てていなかったクルーの存在意義を少しだけ噛みしめることができました。 今は3回生になり、同回生ペアでシングルも取れるようになってきて、“正”の思い出のレースもたくさん作れるようになりました。しかしやはり先程述べたレースの記憶は鮮明で、調子のいいときも悪いときもあのレースのことを思い出して自己を奮い立たせるものとなっています。残された一年では今までの負の思い出を全て正に塗り替えられるようなレースができる名クルーになってチームに貢献したいと思います。