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引退ブログ#2中根悠真


お世話になっております。88代470スキッパーの中根です。正直いまだに引退した実感はないですが、フルセールの思い出編を書ける自信がないのでいつか見返せるようにこの4年間の思い出をここに書いておこうと思います。


私が入部したのはコロナ禍真っ只中の1回生の11月です。当時は試乗会もできなかったためヨットとは何かを全く知らない状態でしたが、コロナがいつ終わるのかも分からずなんとなくその時期でも熱心に新歓を続けてたヨット部に入部しました。入部した当初のヨット部の印象としては寒いし、ホッパー重いし、ヨット全然意味わからんし、同期も暗いしとあんまりいい思い出はなかったです。470スキッパーになって数回目の練習から宮津に行くことになりました。寒すぎて沖で練習したことは全然覚えてないですが、毎回往復4時間くらいかけて車で通って練習してた先輩方の体力に驚いたのは記憶に残ってます。


2回生では新歓と下級生の教育をしました。教育では自分の技量と立場のギャップがしんどかったです。でもそんな中でも新歓や教育を通して喋れるようになった同期や先輩といる時間は楽しくて週末になるのが楽しみでした。後輩の浅井とレースシーズンで上ピンスタートをぶち当てて浜出艇を回避したのもいい思い出です。蒲郡のインカレではハーバーで感じたインカレ独特の緊張感と京大ヨット部の団体戦の雰囲気がとても新鮮でした。


3回生は春合宿がとても地獄でした。寒すぎるし風が吹きすぎるしで昼着でみんな凍えてたのが懐かしいです。新歓を大成功で終えるとまた教育をすることになりました。この時期は最高学年になるという焦りと下級生指導隊長という役職が相まっていっぱい1回生クルーに嫌われたと思います。そして11月になり琵琶湖インカレを迎えました。昨年より身近な先輩がインカレの舞台で戦って結果を残したということにめちゃくちゃ勇気づけられたのを覚えています。陸に帰るとみんな泣いてました。


インカレが終わると最高学年になりました。

春合宿には同期の保家とペアを組み要求に応えられない自分の力量にもどかしさを感じ、レースシーズンでは後輩の峰野とペアを組み思ったような結果が出せず苦しみました。夏合宿はたくさん遠征に行きました。葉山・江ノ島は1か月で本当にいろんなことがありました。この遠征には賛否両論あるけど、高波ランニングと強風クローズをちょっとだけ掴んだので自分的にはプラスでした。団体戦予選では2レース出ました。1レースはスタートで爆死して強風の中無我夢中で帆走して、もう1レースは1上で逆海面が爆伸びして死にそうなところを首の皮一枚で耐えさせました。予選が終わると本戦1か月前に小戸に前入りしました。小戸の風と自分の艇速のなさに打ちのめされました。そんなこんなであっという間に本戦を迎えました。本戦は上マーク船から情報を送り続けました。自分の気持ちとしてはただ応援することしかできないというのが悔しいというよりチームとペアに申し訳ないという気持ちが大きかったです。最後の小戸インカレは微風の中ギリギリの4レースが行われて総合6位という結果で終わりました。目標としていた総合3位には届かなかったですが、自分の代で総合入賞できたということはただただ嬉しかったです。


自分の4年間をまとめるとこんな感じでした。この文章からもわかる通りプレイヤーとしては辛かったり悔しい思い出が多かったですが、京大ヨット部の一員としてはとても楽しい時間だったと思います。ここまで続けてこられたのは様々な方達に支えていただいたおかげだと思っています。最後まで続けてみてよかったです。

4年間お世話になりました。

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