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引退ブログ#11倉又陽菜


お世話になっております、88代スナイプクルーの倉又陽菜です。

引退から約2ヶ月が経ち、琵琶湖の水温を想像するだけで震えるような季節になりました。それでも現役のLINEを覗けば毎日のように自主練が開催されていたり、部の運営や新歓準備や親睦会やら駆け回る彼らのバイタリティに、頼もしいを通り越して、戦々恐々としています。


12月頭に書いた引退ブログがいよいよ公開されるということで、こんなに思い出語りをしていいものか、今読み返すとちょっと恥ずかしいですが、折角なので、そのままの文章でブログに残してもらおうと思います。下の段落から、時系列が読みにくいかもしれませんが、読んでいただけたら嬉しいです。


*****


引退して3週間が経ちました。引退直後のぐちゃぐちゃだった気持ちも、時間とともに生々しい悔しさや未練が薄れ、綺麗な思い出に昇華されていくのが、なんだか寂しくもあります。


この引退ブログでは、率直な引退の感想と、お世話になった方々への感謝を綴りたいと思います。長くなってしまうかもしれませんが、お付き合いいただけたら嬉しいです。


強風に自信のあった88代スナイプチームが迎えた、無風予報のインカレ。軽風用クルーだった私は全レース出場しました。これまでいろいろなことがあったけれど、私達が今までやってきたことを信じられる、あとはいつも通りやって前を走るだけ、絶対に勝てる、楽しみだ、4日間全て心の底からそう思って出艇できました。

しかし、結果は、個人成績49-29-27-56/72、スナイプ級10位。スナイプ最終レースのあと、得点計算が確定するまでは総合入賞も危ぶまれた。申し訳なくて、情けなくて、現実を受けとめられませんでした。沢山教えてくれた先輩、笑顔で送り出してくれた後輩、陸やレスキューやふねの上で私を信頼してくれた人たち、一緒に戦っている全員、今までの2年6ヶ月、全部に申し訳なくて、顔向けできませんでした。

順位もそうだけれど、勝つことで、これまでのヨット部での日々をみんなと肯定したかった。今まで先輩のインカレを見てきて、最後のインカレの着艇後には、そういう涙をバースで流せるんだと思っていた。けれど現実は、ごめんしか出てこなくて、でもカラッとした雰囲気のバースで暗い顔をするのも気が引けて、上の空な会話をして、でも気を抜いたら涙が出るから、トイレにこもって最終レースのトラッキングを呆然と見ていました。



引退してからの数週間は、いろいろな感情が渦巻いて、今もうまくまとめる言葉が見つかりません。さっき、今までやってきたことを信じて出艇できた、と書きました。結果は上に書いた通りです。勝って証明するはずだった、自分が取捨選択して信じたものに、どう落としどころをつけたらいいかわからなかった。


自分とペアが、今が速い、と感じる瞬間のこと。いろんな話を聞いて沢山試して最後に選んだチューニングや走り方や、コースの考え方。その調整の仕方、コミュニケーションのとり方。つくってきた、「いつも通り」とそれを出す方法。


一人一人に愛着があるスナイプチーム。いろんな考え方やいろんな立場があって、いろんな理想があって、これで本当に勝てるのかと迷いながらも、今までやってきたこと。噛み合う部分も、それぞれ違う部分もあって、でも個人個人を知ってきたから、この人たちとなら大丈夫だと思えたこと。


ただ山﨑と083に乗るだけで心の底から楽しくて、インカレで前を走る、それがこのペアならできるはずだと本気で思えたこと。そのためにできることがまだあると前日までずっと思えたこと。


琵琶湖にいたころからずっと、悔しい状況でも、インカレで前を走るために、何度も反省して改善してきました。そうやってきたことを、インカレで前を走れるメンタルをつくるために、最後は小戸で腹を括って信じました。前向きな発言や楽しさが、本心なのか自分に言い聞かせているのかには目を瞑って、最後まで走るしかないと思っていました。

それを、これで良かったんだと言える結果が出せなかった。金坂に賞状を持たせられなかった。なぜもっと上手くなれなかったのか、今まで何をしていたのか。速くなったと思っていたのは現実逃避だったんじゃないか、頑張っているふうで自己満足していただけだったんじゃないか。考えたらきりがなくて、でももう反省しても繋げる次回もないから、土台が崩れて全てがわからなくなりました。


暗いことを書きましたが、引退後はお酒の場にも駆り出され、思い出話で楽しくなることも、みんなとしょうもない話をして楽しくなることもいっぱいありました。時間が経つにつれ、思い出を懐かしむ気持ちや、感謝の気持ちにも目を向けられるようになりました。楽しかったなと感じるほど、なのに結果が出せなかったことが苦しくて、苦しく思うほど、インカレという未来に向かっていろんな気持ちが動いた日々が輝いて見えて、いろんな感情と過ごした1ヶ月でした。


気持ちに整理をつけさせてくれたのは、ヨット部のみんなです。インカレを目指す集団じゃなくなっても、同期と集まって喋るのは楽しかった。もう目指すべき自分のレースがなくても、現役の手伝いでハーバーに行けば、素直に京大ヨット部が好きだと思えて、こんな私が練習してきたことがわずかに後輩の役に立ててほっとした。恩返ししたいと思えて心の底から応援できる組織に、今まで所属していたんだと気づきました。ヨット部で頑張った自分に恥ずかしくないように、またみんなで集まったときに良い話ができるように、新しい生活を頑張ろうと思える。ヨット部で進むべき未来がなくなっても、思っていたより多くのものが私の手元にのこったことに気づきました。


ヨット部に入部して、これまでやってきて、本当に良かったです。ただ、このブログの最初に、綺麗な思い出に昇華されていくのが寂しい、と書きました。こうやってブログにまとめてみても到底不完全になってしまう、いろんな感情や思い出や思想がぐちゃぐちゃになったものこそが、だんだん忘れていってしまうけど、私のリアルな2年6ヶ月だったなと思います。だからこそ、ヨット部でやってこれて良かったと思っています。ここまで続けてこれたのも、そう思えるのも、全部みんなのおかげでした。


長くなってしまいましたが、最後に、感謝を伝えさせてください。


最初は、ただコミュニティに属したいというだけで入部してしまいました。甘ったれていた私を、たくさんの方が刺激を与えつつ見守ってくれたおかげで、少しずつ、ヨットが楽しい・上手くなりたいという気持ちが強くなりました。ヨットやヨット部と衝突しても、いつも誰かが助けてくれて、数えきれないくらい何度も助けられて、ここまで続けて引退することができました。きっとこのブログを読んでくれている全員に、本当に、何度も助けられたと思います。ありがとうございました。


くだらない話をしてくれた人。ハーバーを明るい雰囲気にしてくれた人。おいしいマネ飯をつくってくれた人。同じ車で帰ってくれた人。悩んでいた時に声をかけてくれた人。相談してくれた人。ぶつかってくれた人。一緒にヨットに乗ってくれた人。ライバルでいてくれた人。悔しいと思わせてくれた人。たくさん教えてくれた人。Slackの反省にスタンプをくれた人。自主練に付き合ってくれた人。フルセイルや引退ブログや、何気ない一言で、背中で見せてくれた人。


京大ヨット部内だけではないです。コーチングではヨットの新しい面白さがどんどん膨らんで、トップ選手の熱を間近で感じられて、自分の糧になる経験をさせていただくことができました。近畿北陸水域の皆さんは、ときに憧れであり、ときに勝手に意識してしまうライバルでもありました。遠い大学の選手のかたも、どこかの大会で見た名前がエントリー一覧にあるとなんだか嬉しくて、みんな頑張っているんだなと励まされていました。


そして何より、今まで応援してくれた家族のおかげで、ここまで続けることができました。

本当にありがとうございました。


京都大学体育会ヨット部88代スナイプクルー

倉又陽菜

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