top of page

引退ブログ#3 岡本旺成



 こんにちは、先日の琵琶湖インカレで引退しました87代スナイプスキッパーの岡本旺成です。引退してから約1か月が経ち、ヨット部とは離れて生活していると毎日のように琵琶湖に通いヨットに乗り続けていた日々が少し懐かしく感じるようになっていて、自分はもうヨット部の一員には戻れないのだなと悲しいような嬉しいようななにか複雑な心情になってしまいます。その気持ちが僕にとってのヨット部の4年間を表しているのかなと思うと、楽しいことやつらいこと本当にたくさん経験してきたのだなと少しだけ自分を労ってあげたい気分です。

 

 先日の代交代式では、4回生の1年間自分が悩み続けた中で一番大切だと感じたことを話しました。引退ブログでは、その時に伝えきれなかったお世話になった方々への感謝の気持ちを伝えられたらなと思います。


 まず初めに、田中監督、神谷コーチをはじめとするコーチの方々、現役中心の部活を保ちながらも僕たちがぶれないように様々なサポートをしていただきありがとうございました。4回生になって、監督やコーチがいてくださることのありがたさや心強さを身に染みて感じるようになりました。これからは一緒に現役を応援していけたらなと思います。本当にありがとうございました。

 

 次に、86代の先輩方、常に一歩先を行く目標として居続けて、僕が大きな決断をしたときには本気で向き合っていただきました。スナイプに乗り始めた頃はヌヌさんや大山さんが近そうで遠くて、2回生のレースシーズンは和賀子さんに引っ張ってもらいながら383ペアと切磋琢磨することができました。その年のプレプレでは、同期ペアで加藤定田ペアに挑戦しました。そして、86代が始まって自分はクルー転向という大きな決断をしましたが、そこでは丈さんが本気で向き合ってもらいました。丈さんはこの決断に納得してくれたのかは分からないけれど、丈さんの厳しい言葉は自分にとっては覚悟とモチベーションを思い出させてくれるものでした。そして、何より村山さんにはクルーワークの練習からインカレの舞台まで連れて行ってもらいました。ヨットの技術だけでなく、ヨットの楽しさ、ヨット部の楽しさなど数えきれないほど教えてもらいました。感謝してもしきれません。先輩方が引退してからも大山さんや村山さんには悩みの相談をたくさんしました。いつも前向きになれる話をしてくださり、心強かったです。先輩方がハーバーに来ていただいた時の安心感は先輩方が思う5倍はありました。本当にたくさんお世話になりました。


 次に、同期とは本当に苦楽と共にしました。僕らは人数が多くて、楽しかったけど競争も激しくて、同期の中で頭一つ抜けないと良い船にはありつけないような状態でした。特に最後の一年は、同期とレースメンバーをかけて争い続けるような日々でした。元々競争意識が強い代ではなかったので、最後の一年でそういう状況になってピリピリしてしまうこと多かったですね。お互いしんどいんやろうなとは分かっていても、利害関係が同期内で起こっているのでみんなで話し合うことが難しくて、みんな明日は我が身だったことから正直に話し合うことは難しかったように感じました。最後までその状態がきれいになることはなかったとは思いますが、みんなが自分なりに納得しようとして置かれている状況でベストを尽くし続けたから、あの結果につながったのだと確信しています。今年のチームは470とスナイプともに3番艇候補が3.4艇ありました。その3.4艇の実力が1.2番艇と大きく離れているわけでもありませんでした。神谷コーチも再三おっしゃっていましたが、本当にレース艇が5.6ペアあったんだと思います。それは4回生がインカレに出る可能性を諦めずに努力を続け、後輩たちがそれに続いてくれた結果だと思います。僕自身は団体戦予選以降調子がなかなか上がらずモチベーションも失いそうになっていたのですが、同期のそういった姿を見て最後まで頑張ろうと思えました。一緒に悩みながらも、絶対に負けたくないと切磋琢磨し続けることができた同期を持てて、僕はとても幸せです。本当にありがとう。


 最後は一年間ペアを組んでくれた網谷へのメッセージです。

網谷とは実家が近いということもあって1年生の時から一緒に帰ってたよな。網谷は寡黙やけど、責任感が強くて頼りがいのある漢です。4年間で一番話をしてきた君だからこそ、一緒に乗ろうと言ってくれた時はうれしかったし、一番艇を目指そうと言ってくれた時は本当に頑張ろうと思えた。ヨットに乗ってもちゃんと自分の考えを持っていて、強風でもたくましくハイクアウトする姿はかっこよかった。さすが大山さんに鍛えられたクルーだなと自分にはもったいないくらいのクルーだった。だからこそ、今年1年、網谷がヨットに集中できる環境をペアとして作れなかったこと、網谷をリーダーとして担ぎ上げてあげられなかったこと、これが一番の後悔です。でも、今年のヨットの記憶は99%が網谷とのものです。艇内の雰囲気が最悪だった同志社ウィーク、774が速すぎて興奮した練習、読みが当たりに当たったセーリングチャンピオンシップ2日目、スタート恐怖症になったプレ、本当に悔しい思いをした個人戦予選、がちがちで出た7大戦最終レース、471と183に食らいつけるようになった江ノ島遠征、艇速への圧倒的自信を得た小戸遠征、全国でも戦えると確信した全スナ、歯車が狂い始めた琵琶湖練習、最後までペアを続けようと語ったミーティング、メンタル崩壊した団体戦予選1.3R、おれがいきなり号泣したトレイン、何してもダメやった同志社コース練、戦える自信を取り戻したBBマリンカップ、いきなり交代した本戦2R、471で出た幻の8Rなど挙げ出したらきりがない。しんどい思い出の方が多いかもしれへんけど、その分だけいい景色を見た瞬間は本当にうれしかった。網谷と共に駆け抜けた1年間はかけがえのない1年間でした。最後までペアを解散せずに戦って終われたこと、その事実を君は誇っていいと思います。一緒に引退できるのが当たり前じゃないということを俺は知っています。本当にありがとう。これからもよろしく。


 とても長くなってしまいましたが、あと少しお付き合いいただきたいです。これまで、自分がお世話になった先輩同期への感謝の気持ちを述べさせていただきましたが、最後の最後に現役の後輩たちへの感謝を述べさせていただきます。まず、マネージャーのみんなへ、4回生がいない中でチームを支えて、盛り上げてくれてありがとう。菜緒ちゃんを中心に新しい取り組みをどんどん始めて、それがユーモアや遊び心たっぷりで僕自身京大ヨット部がより好きになりました。サポート面でも翔がみんなにヨットのことを教えてくれたことで練習の質はどんどん上がっていったし、僕たちが要求しやすい状況を作り続けてくれました。一回生も本当に優秀で、このチームが来年もあるのだと思うと安心できます。日本一のマネージャーチームでした。本当にありがとう。

次にプレーヤーのみんなへ、1年間一緒に戦ってくれてありがとう。君たちの成長は僕ら4回生にとっては喜びであり脅威でありました。特に僕は最後後輩とレギュラーをかけて争っていたので、同期以上に負けたくないと思ったし大きく成長していくのを見て頼もしく感じていました。今年の4回生は人数が多かったから、引退した後はみんないい船をゲットしただろうと思います。大暴れしちゃってください。僕も全力でサポートします。


 ここまで、八方美人のようなブログになっていますが、このタイミングで感謝を述べておきたかったのでご勘弁いただければなと思います。


 本当に最後に。

僕の4年間は本当にたくさんの人に支えられていました。京大ヨット部だからここまでやってこれました。結果に直接貢献できなかったことは本当に悔しいし、申し訳ない思いでいっぱいですが、京大ヨット部で得た経験はすべて誇りです。これからの人生をかけて少しずつ恩返ししていきます。関わってくださったすべての皆様、ありがとうございました。本当にお世話になりました。



京都大学体育会ヨット部87代スナイプスキッパー

岡本旺成

特集記事
最新記事
アーカイブ
タグから検索
まだタグはありません。
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page