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思い出のレース #28



いつもお世話になっております。3回生スナイプクルーの金坂です。今回は私の「思い出のレース」について書かせていただきます。


私の思い出のレースは昨年の4月に行われた第1回琵琶湖スナイプです。このレースはレースシーズン始まりのレースで、人生2回目のレースでした。初日は毎回スタートがうまくいかず、周りを見る余裕もなくてしょうもないポースタで回らされたり、慎二郎さんの伝説の2条違反でプロテストなどと散々な日でした。2日目の第1レースもスタート出れなくて、後手後手のコースを引いて落としていきました。今考えるとあほみたいなコースを引いていたことをこの文章を書きながら思い出しています。そんな感じでこのままではヤバいと思い、初日の第2レースはほとんどの艇は上でスタートしようとしているけど、確実にスタートを切れるようにめっちゃすいていた下で出ることにしました。スタート1分前くらいから上から出ることをあきらめた人たちが下に来ていましたが、下のルームがかなりありアビームを十分に流しながら良いスタートを決めました。このレースは安定した北風で大橋のほうにブローが見えるからスタートしたらなるべく右に行きたいと考えてました。(右行きたいなら上ピン第2線でも狙えよと突っ込みたいです)ですが優希さん柚葉さん艇が一つ上にいて返せないと思って真っすぐ左に行きました。そんな感じでちょうどフルパワーぐらいで当時の帆走技術ではひたすらハイクアウトすることしかできず、ずっとなにも考えずにハイクアウトしてました。ふともうすぐレイラインじゃね?と思い出し、上マークを見るともうレイラインだったので返しました。すると右艇団が圧倒的に下に見えました。そこで自艇がめっちゃ伸びてることに気づき大歓喜しました。すると慎二郎さんが突然「金坂!こういう時はアジョシって言うんだ!アジョシ!アジョシ!」「俺は1回生のころのプレプレで太田さんからアジョシを継承したが、俺はここで金坂に継承する!」と大興奮してました。そして僕の後ろで慎二郎さんはアジョシと連呼し、僕はあの村山さんや丈さんより前を走っているんだというので興奮しながら、ポートアプローチをして1上を4位で回航しました。その後ランで1艇抜き、2上でその順位を守って2下に入りましたが、その時点で1上のときにはかなり自艇より低かった村山さんたちは追いつてきてました。2下のマーク回航でインを取られ、また僕がランチャーシートをキンクさせてしまって3艇に抜かれて、フィニッシュは7位でした。今このようなことをして順位を3つ落としていたら切腹ものですが、当時はそれよりもシングルでフィニッシュしたことに大喜びしてました。下級生でも上級生に勝てるヨットの競技性を実感しました。この調子のまま次のレースも頑張ろうと思っていましたが、西風の爆風となりまったく走れず1下のジャイブでアンヒール沈してそのまま完沈してリタイヤしました。ハーバーバックして湖底の泥がついたセールを洗いながら、2レース目のことを先輩に褒めてもらったことは今でも覚えています。


この時に得た北風のポートアプローチは伸びるという教訓を生かし、レースシーズンを良い結果で終えれるように頑張りたいです。拙い文章でしたが最後までお読みいただきありがとうございました。

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