ヨット部を引退して #4

November 14, 2019

 

この世の全てのサポートメンバーや、くすぶってる奴に読んで欲しくて書きました。長いですが最後まで読んでほしいです。
 
京都大学体育会ヨット部84代主務 スナイプスキッパーをしていた隅田です。
 
1年前の代交代式の夜、お通夜みたいな決意表明をしました。
自分の実力はくそのまま、自分が何もしないまま、自分のチームが準優勝した。そのやるせなさと、申し訳なさと、今後への不安がごちゃまぜになったわけのわからない感情で僕はいっぱいでした。どうしたらいいかわからないままでした。メンタルは完全に終わっていました。
 
代が変わって、主務という役職を通して、部の運営に携わっていくことになりました。本当にたくさんの業務をこなしました。年賀状を家のプリンターで無限に印刷して、追いコンを設営して司会をして、スポンサーと契約を更新して、部員みんなの情報を集めて更新して、大学と連絡を取り合い書類をたくさん作りました。わりと他部署の動きについてあれこれ口を挟んだり指摘したりすることも増えました。うるさいおっさんと思われていたかも知れません。
でも、その中で、自分が部活の運営を支えているという自信はついてきました。これ俺がいなくなったらヨット部終わるな、と。代交代式の決意表明で部の根っこの部分になりたいと話した通り、自分が裏から部の土台を支える、部に必要なピースになれているのを感じました。部の組織的な部分に対するメンタルは、改善されました。
 
しかし、ヨット競技への取り組み方は未だわからないままでした。春合宿、黒田に心労をかけまくりながら678に乗って、3月の大会は全く走らない。クルー間で俺と乗るのがしんどいと噂になっているのを聞き、正直、新歓期は部活を辞めるか迷うくらいまで心がすり減っていました。
その後南野と組んだり、引退まで乗ることになる太田と組んだりしても、心は晴れないままでした。レース結果が物語っています。この頃の太田とのペア関係性は最悪でした。太田ほんとごめんね。
8月中旬くらいまでそんな状態が続きました。
 
個人的なターニングポイントになったのは8月末に個人戦組と共に行った蒲郡遠征でした。その前に長塚を通してペア関係を見直せる機会があり、大津京の王将で太田とミーティングをしました。はじめてお互いにちゃんと気持ちを話し合い、少しだけ心が晴れました。それもあって、遠征中は本当に楽しく練習が出来ました。やる気のあるメンバー、密度の濃い練習で、みんなの意識も前を向いていて、自分が成長していく感覚を久しぶりに感じました。遠征中は陸にいる時も和気藹々としていてすごく良い雰囲気で、僕は夜に布団の中でこのチーム大好きやな…と考えだして眠れなくなったりしていました。こっそり布団を抜け出し外の自販機でジュースを飲みながら感慨に耽ったりしました。キモい奴だと笑ってください。
 
でも、それくらい心に変化が生まれたんです。この時初めて、去年中川さんがブログに書いていた、誰がレースに出てもいいと思っているという話を理解しました。みんなが大好きやったから、みんなが速いのを知っているから、誰がレースメンバーになっても良くなった。
そう考え出すと、不思議とヨットも走るようになってきました。蒲郡から直接向かった江ノ島では、帆走練では京大5艇中1.2を争う艇速を維持し続け、江ノ島スナイプでは太田のコースが爆当たったのも相まって、関東社会人と少しだけせり合えるような成績を取ることができました。ヨットはメンタルで走ってることを再認識しました。
 
そんな感じで上がり調子で琵琶湖に帰ってきましたが、インカレ予選では、それまでの戦績を踏まえて飯島カネゴンペアが起用されました。安定して走っていたので不満は無く、サポートをしっかりしようというメンタルに変わっていました。初日を終え、優勝が絶望的になりミーティングで沈んでる長塚を励ませるくらいのメンタルを手に入れました。2日目、福矢南野が前を走りながら、グルグル他艇を回しているのを見たときも、悔しさや嫉妬は無く、喜びや嬉しさが先行しました。
 
予選が終わると焦点は西宮での全国大会に絞られ、最後の遠征がはじまりました。ありがたいことに471と太田と共に全日程参加させてもらえることになり、懸命に取り組みました。
この時考えていたことは
 
・自分が4番艇だろうが、自分の乗ってる船がレースに出なかろうが、自分が速くなることでレースメンバーは層の厚さに安心し、さらに前を走ることができるようになる 自分が出場せずとも、レースメンバーを速くできる
・とにかく笑顔を忘れない、前を向いた発言を忘れない チームの雰囲気を良くすることを考えて行動する
・今を生きる思考やflowになる思考(これに関しては10月頭に行った辻秀一先生のセミナーの影響です。部活内外問わず現在の僕の行動の仕方が大きく変わりました。あの先生はすごいです。フルセールにも書きます。興味ある現役はコンタクトしてみてはどうでしょう)
 
でした。結果としてチームはずっと良い雰囲気で練習出来ていたと僕は思っています。オーバーパワーの471は何をしても速かったです。微風は遅かったけど。遠征メンバーが勝ちメンタルのまま、徐々に他のメンバーが合流してきて、インカレ開会を迎えました。
 
話を少し前後させます。僕個人のターニングポイントは蒲郡遠征と書きましたが、チームとしてのターニングポイントは7月の七大戦での敗戦だと思っています。ただ九州大に勝つという意思だけで、レースメンバーとそれ以外が乖離したまま臨んでしまった大会でした。
敗戦後、百万遍のカレー屋で回生を超えてミーティングをしました。チームとしての戦い方や、1人1役職の制度をみんなで考え、チームを再構築しました。あそこで負けず、なあなあで九州大を倒してしまっていたら、僕たちは入賞していません。
 
そんなわけで、自分自身の取り組む姿勢も、部としてのチーム力も代交代時から大きくかわった状態で臨んだインカレ本戦。
僕はサポート要員のレスキューボートに乗りました。交代の可能性はありましたが、出ても出なくてもどっちでも良かったです。試合に出たら普通に前を走る自信があったし、自分が出ずに他のメンバーが走れていたらそれが理想的な展開だと思いました。
サポートにも本当に全力を尽くしました。コーチと連携して、考えうる限りのパターンを想定し、全員ほぼ完璧に動き切ることができたと思います。
結果は、スナイプ級優勝、470級11位、総合5位入賞。
部員全員で健闘を讃えあい、抱き合い、涙を流し、喜び合いました。
僕は1年前を思い出し、全員で喜べていることが嬉しくて、また泣きました。
 
こうして僕たち84代は引退しました。
まだ余韻は抜けません。
長浜や長塚は色んなメディアに出たり、これからもしばらく忙しいんじゃないかと思います。村山の知名度はえぐいことになってるんじゃないかな。
でも、羨望や嫉妬の気持ちはありません。
僕は、表彰台に立たなくてもいいし、部外に名前を知られることもなくて良い。
何故なら僕は、僕自身がこの勝利に貢献したことを知っているから。
僕が居なければ、入賞も優勝もしていないという確信を持っているから。
それを、僕が知っているだけで充分です。
1年前の代交代のあの日、こんな気持ちになれるなんて思わなかった。
この気持ちが、僕の誇りで、最後に手に入れた宝物です。気づくことができた僕は幸せ者です。
 
そして、それは僕だけじゃない。クラスリーダーが長塚と八代じゃなかったら、入賞していなかった。率先して仕事を手伝ってくれる双葉やわかこがいなかったら、入賞していなかった。学連の業を全て引き受けた厳がいなかったら、入賞していなかった。西宮の風を徹底的にまとめた南野がいなかったら、入賞していなかった。支援艇を担当してくれた北尾がいなかったら入賞していなかった。宿泊場所を見つけた綱井がいなかったら入賞していなかった。陸のサポート体制をまとめたつんつんがいなかったら入賞していなかった。ルール強者の福矢や飯島がいなかったら入賞していなかった。ボスマネのみのりんがいなかったら、至上の「いつも通り」をしてくれた奥村がいなかったら、スーパークルーの太田がいなかったら、我慢しながら琵琶湖で練習して、不満を表に出さずについてきてくれた1回生と2回生がいなかったら、京都大学は入賞していなかった。
 
レースメンバーになれたかなれてないは、どうでもいい。個人のヨットが上手くいったかいかなかったかも、どうでもいい。それはもちろん競うべき点ではあるけれど、本質とは別次元の争点です。本当に大切なのは、「自分が1年間したことで、チームの勝利に貢献できたかどうか」、だと僕は考えます。
 
後輩たちは自分を誇りに思ってください。誇りに思って、次につなげてください。
みんなの活躍を祈っています。背負うものは大きいかもしれませんが、出来る限りサポートできたらと思います。みんななら出来ると思っています。
このチームの一員になれて幸せでした。4年間ありがとうございました。 

Share on Facebook
Share on Twitter
Please reload

特集記事

11/1〜11/4 第83回全日本学生ヨット選手権大会

November 6, 2018

1/1
Please reload

最新記事