引退ブログ#1 飯田碧
お世話になっております。先日の江ノ島インカレで引退しました、89代470スキッパーの飯田碧です。時が経つのは早いもので、遂に最後のブログを書く時がやってきました。図々しいですが、私のヨット部人生の回想と、引退して今思うことを書かせて頂こうと思います。
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入部当初は11人いた同期も、気付けば5人にまで減っていました。多くの同期が辞めていく中で、私は何度も自分に問いかけました。「どうして自分は続けているのだろう?」
その答えは、途中で何かを投げ出したくないという気持ちからでした。中途半端なところで辞めるのは、自分に負けたように感じてしまう。だからこそ、最後までやり抜こうと自分を奮い立たせることができました。
私はただ、負けず嫌いの気持ちだけで走り続けてきました。
レースで前を走りたい。帆走練でもっと速くなりたい。誰かに負けたくない。そんな気持ちを原動力にしてきました。私は本質的にヨットが好きなのではなく、ヨットという競技を通して誰かと、そして自分と勝負することが好きだったのだと思います。
しかしながら、チーム、そして私自身の最後について何も意識していなかったわけではありません。
1回生のある日のポイントレースでのことです。私は運営を担当することになり、乗せられた運営船にはとある京大OBの方がいました。ふとしたことから、「最近、同期が1人また1人と辞めていくんですよね。」という話をすると、その方はこう言いました。「4年間やった人にしか分からない最後の景色がある。だから辞めない方がいいよ。」
当時は4年後の景色について具体的なイメージは想像できなかったものの、この言葉はそれから先ずっと頭の片隅に残り続けることになります。
一つの転機は、87代琵琶湖インカレでの総合3位を間近で見たことでした。悲願の目標を達成し、ハーバーは歓喜の渦に包まれ、部員たちは互いに喜びを分かち合い、笑顔で溢れていました。漠然とですが、こんな風にみんなで笑って引退できたら最高だな、と「4年後の景色」についてイメージが少しだけ膨らんだ瞬間でした。
さらに、3回生以降、少しずつレースで前を走れるようになったことも大きな変化でした。良い成績を残せた日は、嬉しさと興奮で心が高鳴り、夜になってもなかなか眠れないほどでした。レースで前を走る喜びが忘れられず、いつしか「4年後の景色」は、最後のインカレで1レースでもいいから前を走りたいという、具体的な目標へと変わっていったのです。
そんな気持ちを抱えて迎えたインカレ。結果は皆さんご存知の通りです。大学4年間を懸けてヨットをやる、その先の景色が見たい――そう思っていたけれど、待ち受けていたのは思い描いていたものとは違う光景でした。そこに立ちはだかっていたのは、小手先の技術では到底超えられない明確な実力の壁。その前で、打ちひしがれた自分がいて、ただ無力感に苛まれるばかりでした。自艇が思うように走らなくても、チームの成績が良ければまだ気持ちの落とし所はあったと思います。しかし、現実は自艇も走れず、チームの成績も振るわない。だから、落とし所が分かりませんでした。4年間の努力が無意味になるわけではないと頭では理解していても、頑張ったよね、だけで自分を納得させるのは綺麗事のように思えました。
悪いことばかりだったとは思いません。むしろ、恵まれていた方だと思います。
同期には、自分よりも遥かに経験豊富で、なんでも気軽に聞ける、頼れる抜井ちゃんがいました。同期の人数が少なかった分、3回生からレースメンバーに加えてもらい、レースシーズンでは一つ上の先輩である保家さんとペアを組み、4番艇として切磋琢磨することができました。4回生では、オリンピックウィークで伝説の3位フィニッシュを飾ることができ、多くの方から応援メッセージをいただきました。その後のプレでは初めてのトップホーンを取るなど、未経験スキッパーとしてはこの上ない経験ができたと思います。
何より、暑い日も寒い日も朝早く起きて1日中練習に打ち込んだこと、4年間一つのことを途中で投げ出すことなくやり遂げたこと、多くの先輩や可愛い後輩に恵まれたこと、たった5人で80人規模の部活を運営したこと。これらの経験は確かに価値あるものなのです。
それでも、こうした「価値ある4年間」を半分の自分は理解していても、もう半分の自分は、それで済ましていいのか、美化しているだけではないかと疑ってしまうのです。
この気持ちを整理するには、もう少し時間がかかりそうです。ですが私は、せっかく4年間頑張ったのだから、暗い気持ちで終わりたくない。いつかインカレを、そして京大ヨット部を思い出した時に、前向きな気持ちになっている自分でありたい。そう願っています。結果が振るわず、最後はもがく形になってしまいましたが、それも含めて、この経験が今後の人生の糧になるような気がしています。
身勝手かもしれませんが、後輩のみんなには私たち89代で果たせなかった雪辱を晴らしてほしいと強く願っています。5年後、10年後、そしてもっと時間が経ち、おばあちゃんになった時。もしも京大ヨット部が今よりもっと強くなっていたとしたら――私は、そのバトンを繋いだ一員であったことを、きっと誇らしく思うでしょう。これはありきたりかもしれませんが、私の心からの率直な気持ちです。そのために、これからは一OGとして後輩のみんなの成長を心から応援していきます。また、コーチとしてサポートできることがあれば、全力を尽くして頑張りたいと思っています。
最後になりましたが、これまで支えてくださった監督、OB、コーチの方々。そして何より、一番近くで見守り続けてくれたお母さん、お父さん。本当にありがとうございました。
京都大学体育会ヨット部89代
飯田碧
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