思い出のレース #10

May 26, 2020

 

こんにちは、3回生スナイプクルーの黒田です。今回は思い出のレースというテーマです。正直、思い出深いレースが多すぎてどれを書いていいか悩ましかったです。初めての全日本個人戦、トップホーンを鳴らした東日本スナイプ、そしてチーム優勝をした全日本団体戦。どれもが思い出深く、一生ものの経験です。ですが、ここでは敢えてそれらのレースとは違う意味で思い出深いレースについて書かせていただこうと思います。それは、ホッパーで出場した人生初めてのレースです。

人生初めてのレースの一週間前、私は残念なことに右足を捻挫してしまいました。捻挫といってもそこまで軽いものではなく、足首が普段の2倍まではれ上がるほどでした。ですが当時の私は少しでも同期より評価されたいと思っており、まだ通常の1.5倍ほどの大きさを保っている足首を引きずりながらもレースに出場することにしました。正直、この状態で同期に勝ったらおれの評価はうなぎのぼりやくらいに思っていました。ですが、現実はそうは甘くなかったのです。

その大会では2レース行われる予定であり、1回生の人数とホッパーの艇数の関係上、1レース交代となっていました。僕は1レース目の方に出場することになっていたので、みんなで艤装し終わった後、いそいそと出艇しました。レース海面に向かう途中、えらくヒールが起きないなあと思っていました。そして、レース海面に到着ししばらくしてスタート5分前のホーンが鳴った時にやっぱりおかしくね?と思いました。デッキと水面が同じ高さにあるのです。そして思い返しました、おれ、キングストンしめたっけ?と。全然、記憶にございません。やっちまったことを悟りました。急いでレスキューボートに向かい、曳航してもらいました。レスキューボートに向かう途中、ポートでウェイティングする大地とすれ違い悲しくなりました。そして着艇。情けない気持ち、悔しい気持ち、いろんな感情が僕の中に湧き上がってきました。着艇した後すぐ、レスキューボートに乗ってレース観戦しに行くことになりました。だんだん吹き上がる中、上マークをすっとばした大地が2位で帰ってきたのを見て驚きました。

1レース目が終わり、交代が始まりました。風がかなり強まってきていました。このまま、角岡(小柄な女子)が乗るとクローズでヒール沈しちゃいそうだということ、僕が1レースもでていないということを理由に高山さんが僕と角岡の二人で乗るように言ってくれました。1レース目出られなかったため、大変うれしく高山さんに感謝しながら乗船しました。本当は角岡だけで乗る番だったので僕はティラーも何も握らず、たまにメインシートを引くのを手伝ってあげる動くバラストと化すことになりました。どうにかスタートし、上マークに向かっていくとどんどん風が強くなってきました。あっちいくとか言いながらクルーもどきなことをしていました。この時、ちょっとクルーも楽しいかもと思いました。その結果かもしれませんが今はクルーをしています。どたばたしながらも上マークにたどり着くことができました。(ただしここまでで3回くらい沈しています)しかし、上マークを回り、リーチングに入ろうとした瞬間、一瞬で沈しました。沈を起こしてリーチングを走り始めますが、すぐに沈してしまいます。なんとかサイドマークにたどり着くもジャイブができません。タックもできないような風になっていました。何をしても沈してしまい回れず、レースの続行は不可能に思えました。角岡に、「俺らの技術じゃ無理やし、あきらめてレスキュー来るのまっとかない?」と言いました。返事は返ってきません。「風強いしもうさすがに無理じゃない?」、もう一度つげます。するとか細い声で「うん。」と聞こえました。よかったと思い後ろを振り返ると泣いている角岡あかりさんがおられました。女性を泣かせた経験はあまりなく僕は焦りました。早くレスキューが来てこの状況をどうにかしてくれと思いました。ですが、レスキューは来ません。なんとか励ました方がいいのかなと、「しゃあないよ。」と言いますが返事はなく、角岡さんは泣いています。てか、そもそもなんで泣いてるの?と思いました。そこからレスキューがくるまでどれだけの時が経ったのでしょうか。沈し続けた疲れもあり、永遠のように感じられました。結局、角岡さんが泣き止んだのはレスキューが来てからでした。

以上が私の思い出のレースです。長かったですが読んでいただきありがとうございました。最後に角岡、あんま泣かん方がええで。

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