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思い出のレース #5


いつもお世話になっております。4回生スナイプスキッパーの福矢です。今回のブログのテーマは「思い出のレース」です。これまで経験したレースを振り返ってみて、最も思い出に残っているレースはやはり優勝した昨年の全日本インカレの団体戦です。が、僕と同じように考えている部員もきっと多くてネタがかぶりそうで、またこのレースについては先輩方の引退ブログなどでよくよく語られているので今回は別のレースについて書こうと思います。

 それは昨年7月に葉山で行われた東日本スナイプです。初日は順風くらいでレースが行われ、自分たちのフネは関東の強豪校に全く歯が立ちませんでした。このレースが印象深いレースになった理由は2日目にあります。この日は朝から非常に強い北風が吹いており、一応艤装はしたもののレースは行われないだろうと思っていました。しかし、ブリーフィングでレース委員長の方が、沖の方では30knotくらいはいっているが岸の方では少しましだから岸の方ではレースができるだろう、というようなことをおっしゃって、AP旗も降りました。出艇するか悩んでクルーの南野とも話し合い、結局風が少し弱まった気がしたタイミングで出艇することを決めました。その頃にはスタート時刻に間に合うかギリギリの時間になっていました。しかしフネを水に浮かべてからまた風が強まったりして出艇に時間がかかってしまいました。沖に出ると琵琶湖ではほとんど経験のない強い風が吹いていました。スタートラインに近づこうとするも意外とスタートラインが沖の方にあり、向かっている途中でスタートの時刻を迎えてしまいました。スタートしたクローズのフネとすれ違いながらラインに向かい3分くらい遅れてスタートしました。前の方を走っていたフネはセールを引き込んで安定したバランスで走れていたのに自分のフネは全くそうすることはできずレベルの差を感じました。走り負けているのは分かりきっていたのでとりあえずタイムリミット内にフィニッシュすることだけを考え、沈しないように安全に安全に走っていました。そうして頑張って走っていると、沈しているフネを何艇も抜きながら、タイムリミット内にフィニッシュできました。順位はよくなさそうでしたが達成感に満ち溢れていました。しかし、陸に帰るのもまた大変で死にそうになりながらクローズで進んで行きました。陸に近づくと083が堤防のすぐ横で沈していました。イギリス人に助けられていました。なんとか陸に帰りフネの片付けをしていると成績表が張り出されたようです。フィニッシュできただけで達成感が十分あったので順位にあまり興味はなかったのですが一応見に行くことにしました。するとUFDの文字がついていました。まさか3分後にスタートしたのにUFDなわけがない、そう信じていました。が、少し冷静に考えると風上からスタートラインに近づいていたのでそのときに引っかかったんだと気づきました。急に悲しくなって達成感も消えてしまいました。

 しょうもない話でしたが最後まで読んでくれた方はありがとうございます。コロナでヨットに乗れない日々が続いていますが今できることをして一歩ずつ前に進んで行こうと思います。

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