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思い出のレース#14

3回生スナイプスキッパーの隅田です。 ブログテーマ「思い出のレース」ということで、僕のヨット史に鮮烈に刻み込まれた2回生の時のレースを書こうと思います。 【2017年度近畿学生ヨット選手権個人戦3R】 この頃の僕は京阪神合宿でハイクアウトブーツを何者かに盗まれ、新歓でサングラスを割り、春夏の練習中に帽子を3枚くらい流し、レース結果もよろしくなく、ある意味非常に脂が乗っている時期でした。 当時の帆走中の写真があったので見返してみると、足を開脚したセーリングスタイルで、脂が乗っていてとても速そうでした。(この写真を見て姿勢を意識しだした) そんな中挑んだこの年の夏季大会の多くは、インカレ本戦が福井開催であったことから、例年なら琵琶湖開催であるところを、福井の若狭マリーナで開催される運びとなりました。 琵琶湖は夏場全然風が吹かないので、これは海で良い風でセーリングできるんじゃないかと思っていましたが、いざ福井入りすると全然吹かない。このレガッタも例にもれず、2.5〜4ktの微風の中で行われました。 2艇を同回スキッパー3人で交代して乗りながら臨んだ3レース目、右のほうからスタートし、早めにタックを返します。風が無いのに琵琶湖より波は大きい。ちゃぽちゃぽ波に打たれながらもポートでのばしていきます。上側を振り返るとあきらかに他艇と上り角が違い、こっちだけへダーが入ってんのか?と思ったらただただ自艇がのぼれていないだけでした。 艇団のかなり後方で上マーク付近到達、さらに風が弱くなります。自分の少し上で密集した艇団がただでさえ無い風をぐちゃぐちゃにし、波に叩かれ、船が全然進まなくなります。上マークを回航するころには、体感秒速2センチくらいの艇速で、自分の周囲は後ろはもちろん、前にもほとんど船は残っていませんでした。 オフセットマークが遥か彼方に見え、何時間もそこにいるような感覚。その時、下のほうにまだ船がいるのに気づきます。自分より後ろに船がいたのか、と状況は最悪にも関わらずな変な安堵のようなものを感じる艇内。とりあえず自分も前に進もうとします。なんか、めちゃくちゃ近づいてくる下の船。相対的にみて艇速が圧倒的に違う。ちらっとセールをみると同志社のロゴ、リコールナンバー、1。そう、僕が自分の後続艇だと思っていたのは、2周目の上りレグを終えてきた1位の船だったのです。口を半開きにする僕達をそのまま余裕で上突破し、ランニングレグに突入していくトップ艇。僕は、その後ろでちゃぽちゃぽしながらオフセットマークをおじいちゃん亀くらいのスピードで回航しました。 その後、またほんの少しだけ風がはいってくるも、さすがにフィニッシュウインドウ中にもう1周することは出来ず、DNF。トップ艇と周回差をつけられた、後にも先にも(さすがに今後ついたら引退する)唯一のレースでした。 冒頭でも述べた通り、当時脂がたっぷり乗っていた僕は、このレースで引火バーニングしてボーボーに燃え尽きました。他のレースでも前を走れることはほぼ無く、DNFを何回もとり、相当へこんだのを覚えています。 ただ、落ち着いてから、今がヨット人生の底、自分が最下位層ということはここからは抜く船しかいないから、成績が右肩上がりになる未来しかねえわと考えだし、むしろ積極的に練習に取り組めるようになりました。 中途半端に悪い成績だったら、ただ単にやる気を失っていただけかもしれません。周回差DNFという振り切った結果をがんぎめたからこそ、上手く走れなかった当時の僕の気持ちを切り替え、良い意味でも火をつけてくれたターニングポイントとして、未だに記憶に残るレースです。今後は周回差をつける側になれるよう精進していきます。 

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