引退ブログ#3山﨑慧太
お世話になっております。88代KUYC会計、スナイプスキッパーを務めました、山﨑慧太です。僕は11月初めに福岡で開催されたインカレをもって約三年間のヨット部生活を締めくくりました。ですが、その後も後輩のレースを見守るために再び福岡まで車を飛ばして駆けつけたり、自分の怠惰により溜まりまくった会計の業務をこなしたりと、忙しない日々を送っているせいか思ったほどの解放感は味わえていません。ただ、どこか心に虚しさを感じる日々を過ごしています。
さて、1回生の秋に入部してから引退するまでヨット部で過ごした三年間、振り返ってみると楽しい記憶もつらい記憶も数え切れないほどありました。しかし、その大半はチームの一員としての意識が薄く、なにかふわふわとした気分でヨットに乗っていた記憶です。その意識が変わったのは、一つ上の先輩方が引退されたときでした。琵琶湖インカレで総合3位という素晴らしい結果をとり、先輩たちが涙を流して栄光を称え合っている傍ら、僕は不安な気持ちでいっぱいでした。京大ヨット部の一員として、チームをさらなる成長に導くという責任からはもう逃れられないのだということをやっと自覚させられたからです。そして、その責任を負えるほどの実力を身に付けていないことに大きな焦りを覚えていました。
そうして最高学年として迎えた1年間はとても長かったです。始めは自信も実力も無かった僕たちですが、練習やレースを重ねるごとに希望が少しずつ見えるようになってきていました。特に強風が予想されていた小戸でのインカレを見据えて重点的に練習を重ねた強風下での帆走は同志社を始めとする強豪校にも引けを取らないレベルになっていたと思います。一方で、特に軽風域の帆走など、強豪校とのレベル差が最後まで埋められない部分もまだまだありました。
そしていよいよ迎えた小戸インカレ、自艇は全レーススタメンとして挑みました。しかし、4日間とも風は吹きませんでした。結果としては4Rを消化して470が5位、スナイプが10位、総合が6位となりました。総合3位という目標を達成するにあたって、スナイプチーム、特に自艇が足を引っ張ったのは明白です。これまでインカレをどこか他人事と思い、チームのことを小戸インカレで初めて意識させられた僕にとって、自分自身が引き起こしてしまったこの結果を受け入れることはとても厳しいものでした。レース後は僕をレースメンバーとして信じて送り出してくれたチームのみんなへの申し訳無さから涙が滲み、なんとか涙を溢さないように必死に歯を食いしばっていました。2週間以上経った今もなお、この結果を思い返して胸が苦しくなります。ただ、申し訳無いという気持ちはあるものの、後悔は一切無いと胸を張って言うことができます。練習は毎回全力で取り組んでいたし、レースでも1艇でも多く抜かせるようにと最後まで諦めず必死で帆走していました。ここに疑いは1ミリも有りません。ここまで言えるほど頑張れたのはやはりペアの倉又と金坂が一緒に頑張ってくれたからこそです。心が折れそうなときも隣で必死で頑張っている姿を見て自分を奮い立たせることができました。本当に最高のペアでした。本当にありがとう。でもこれだけ必死に頑張れたと思うからこそ、最後は一緒にいい景色を見て笑顔で終わりたかったです。こんな結果で終わってしまって本当にごめんなさい。
でも、本当にありがとう。
最後に畑中や菜緒を中心とするマネチームや、OB,OGの皆さんなど、僕たちがヨットをするために力を尽くしてくれた方々へ今一度感謝を伝えて、引退ブログを締めくくりたいと思います。長い間本当にありがとうございました。
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